2018-2019 ラオス旅行記 vol.3
【vol3.の道のり】
12/31 ルアンパバーン
【前回はこちら】
「そんな昔の旅行本当に覚えてんの?」
「最終回には完全なホラになるんじゃないの?」
「ちゃんと毎日ご飯食べてるの?」
などと、各方面や母親から心配の便りをいただいております。ナガタです。
"覚えてる事を書いてる"というよりは、"忘れてる事は書いてない"に近いので、書かれていることは本当だと思って読んでもらって問題ありません。しかし酒に酔った勢いに任せて書いているのも確かなので、そこはまぁ、一種の精神修行の類だと思って、あなたも負けじとアルコールをしこたま浴びながら読めば、お互いにチャラン&ポラン、多少のウソもマコトになると思われます。
精神修行といいますと、皆様は映画なり写真なりなんなりで、
<オレンジの袈裟をかけた坊主の群がうやうやしく列をなして握り飯を集めて回る光景>を見たことがあるでしょうか?
…などともったいつけて言うほどのことではないのですが、それは『托鉢(タクハツ)』という仏教における修行の一つで、坊主がタダで腹を満たしつつ同時に信者も功徳が積める、という大変優れたシステムなのです。
しかしまぁ、およそ信仰心のない私のような人間にとっては"おにぎりのチャリティ"以上でも以下でもありません。
敬虔な仏教徒が多いことで知られるラオスですが、中でもルアンパバーンと言いますと、ラオス最古の寺があったり、街がまるごと世界遺産登録されていたりと、うっかり十字でも切った日にはその場で散弾を浴びるほどには大真面目な仏ゾーンなので、そこへきて托鉢を見物しないというのはフィリピーナを捕まえて「シャッチョサーン!」と呼ばせないくらいモッタイナーイ!アリエナーイ!と出発前からさんざん聞かされていましたので、不承不承、朝の5時に目覚ましをセットして布団に潜りこんだのが前回までのお話でした。
前置きが長くなりましたが、ルアンパバーンの2日目が始まりました。
時計を見やると短針は既に"12"付近、カーテンからは"午後THE日差し"がダダ漏れしておりました。神も仏も眠気の前ではボロ切れ同然ということで、私たちは寝転んだまま画像検索をして、件の托鉢見学を抜かりなく済ませました。
そんな具合に、"生の体験"なんてものはGoogle先生が一つ残らず鼻で笑い飛ばしてくれるありがたいご時世ですが、腹の減りだけはこれ如何ともしがたく、特に人気店の検索などしないまま宿を飛び出して最初に目についた屋台に駆け込みました。
早々にランチタイムを終えた他の店が我先にとずらかり始めているというのに、未だ営々と在庫処理に励んでいる時点で、この店の味には特に期待をしていませんでした。
客と店員とが渾然一体と溶け合って区別のつかない中で我らの注文が確実に聞き届けられるべく、
「カオソイ、ソーン!」(ソーンは2のことらしい)
と、そこそこのボリュームで叫びました。
そうしてテーブルに運ばれて来たカオソイの写真がこちらです。
この丼、湯気という湯気が少しも漂っておらず、「できたてだよ!」というメッセージ性を微塵も感じさせてくれなかったのですが、そんな心配が些細に感じられるほどの凄まじい"納豆的臭気"を放っており、ただでさえ低空飛行だった期待は今や地を這い、土に還るかというところでした。
肝心の味はというと、良く書けば<本場の味>、ハッキリ書けば<まずい>。
唐辛子以外ならアクリル絵具も食えるほど舌の懐が深い友人も、これにはさすがに頭の中が痒いような顔をしておりました。
「まいったな、どうにか美味く食う術はないか…」
卓上の調味料に目をやると、"ザリガニのイラストが描かれた赤い小瓶"が置かれています。恐る恐る手に取ってフタを開けてみると、何やら湿っぽいような灰色の粉がべっとりと詰まっていました。
まぁ<おいしくないもの>に<得体の知れない不気味なもの>を足して美味しくなる道理がないので、フタをそっと閉じ、永久に箸を置きました。
アメリカンニューシネマの勃興以降、
<なんだかよく分からないけど遠くに行きたい気持ち = バイクに乗る>
というのが男の一次方程式となったわけですが、暇を持て余した私たちもそのご多分に漏れず、オートバイを借りることにしました。
脳内にステッペンウルフを垂れ流しながらバイク屋へと向かう途中、上下まっ黒な服を着た胡乱な感じのするおっさんと目が合いまして、その手元を見ると20枚はありそうな薄っぺらい貝殻の束をトランプのように切って数えておりました。
「どっかで頭でも打ったんだろうな」と、大して気にも止めなかったのですが、今にして思えばあのおっさんは遠い昔ラオスに流れ着いたジプシーの末裔で、私たちを一瞥するや、"ハングドメン"みたいな不吉極まる貝殻を引いていたのかも知れない…まさか帰国後にそんな厨二染みた妄想に浸らされるとは、もちろんその時は知る由もありませんでした。
『起承転結』という言葉があるように、事故や事件というのはいわゆる"引きつけて打つ"ように描くことでそこにドラマが生まれるわけですが、この文章は日本中ふんだんにいるおじさん寸前(すでにアウトという向きもあり)の男2人が、「外国に行ってきたよー」というただの日記なので、ドラマもヘチマもなく、走り出して20分もしない内に盛大に事故をしました。
乗り慣れていないという事もあって始めはせいぜい時速30キロ前後で、道路というよりは単なる『泥』と呼ぶべき、あまりにも世紀末な道をおっかなびっくり走っていたのですが、現地民達の操る後続車はスーパーチャージャーが付いてるとしか思えない圧倒的加速で、ヘルメットなんか付けず、時には左手を離してスマホで自撮りをするという曲芸まで披露しながらスイスイと私たちを追い抜いてゆきます。
そうして、あれよあれよと7,8台に抜き去られた頃、
「もう少しスピードを出さないと逆に迷惑なんじゃないか…?」
「いや、でも怖いしなぁ」
という葛藤が湧き上がるが早いか、そちらが早いか、たった今私たちを抜き去ったタンデムの後部座席に座る女が訝しげにこちらを振り返り、
「ちんたら走ってると思ったらアレハ日本人ネ」
「早いのはベッドだけネェ。ナーンチャッテ」
とでも言いたげにほくそ笑みました。
「…もっぺんいってみろクソアマ!!」
こちら側の一方的な思い込みによって、受けてもいない侮辱にプライドをひどく傷つけられた2人の血は煮え立ち、激増した男性ホルモンが睾丸を溢れて右手まで瞬く間に流れ込んで気がつけば思い切りアクセルをひねっていました。
時速47キロ…50キロ…勢いよく泥を跳ねながら、速度を示す数字は順調に上がってゆく、57キロ…60キロまできた、61、なーんだこんなもんか、と、ちんたら走っていた時に抱いていた恐怖があまりにバカらしく思える、63…頭がフワフワする、跳ねる泥が減った、気のせいかコーナリングが上手くなっている、逆恨みは身体能力を向上させる、64、かつて緊張だったもの全てが恍惚に変わる、65、もはや身体のスピードが頭の回転のそれを上回ってしまったらしく、呑気に「『バニシングポイント』って映画があったなぁなんて考えている」、66いやむしろ普段よりも冷静な思考が67出来るようになっている68気が?それにしても一向に追いつく気配がな69いがヤツラは一体何キ70ロで71走っ72て、7
…時速74キロ。
覚えている限り、それが私たちの"消失点(バニシングポイント)"でした。
友人は、突如として現れた直角近い急カーブにあえなくクラッシュ。その勢いはまるで原付そっくりの大砲が、友人そっくりの弾を発射したかのようでした。
<チャプター : よく知ってる人間が宙に吹き飛ぶ>は、滅多にお目にかかれないもんだぞ、と自分の脳が太鼓判を押したのか、その光景はロバートキャパの写真みたく今でもはっきりと瞼の裏に焼き付いています。
少し後方を追うように走っていた私は、「これはまぁ死んだな」という勢いで宙を舞う友人の姿に時間の感覚がのっぺりと引き伸ばされて、
「俺が家族に伝えに行くのか、やだなぁ」
「さっきのザリガニの粉、どんな味だったんだろう」
と、大切なシーンとどうでもいいシーンがオーバーラップした一本のショートフィルムをぼーっと観ていました。
我に返り、「ひとまず手向けも兼ねて停車しようか」と速度を緩めた瞬間、私のバイクの前輪は幼児であればそのまま埋葬出来る大きさの穴ぼこにすっぽりとハマってしまい、エネルギーを持て余した後輪が私の身体を跳ね上げ、上空をくるりと一周させた後、うつ伏せに地面に叩きつけました
…思えば、托鉢を画像検索で済ますとはなんと罰当たりなことをしてしまったのでしょう。今朝の不敬に怒り狂うラオス。彼はまだまだその手を緩めず私たちにトドメを刺そうとしてきます。
「…ん?何が起こったんだ?」
と、まだ状況を飲み込めない私が顔を上げたその場所の、10センチすれすれ、両眼の瞳孔がその風をはっきりと感じられる距離を、軍用の大型ジープが猛スピードで走り去ってゆきました。荷台に乗る現地民たちは地面に横たわる私を、まるで幽霊を見るような目で眺めていました。
もう三十路も近い年齢になって、人並みに色々な経験をしてきたという自負はあったのですが、自分の脳みそがぐしゃりと爆ぜて泥とゴミのもんじゃ焼きになる図を生々しく想像させられるのは、これが初めてのことでした。世の中にはまだまだ知らないことが多くあるものです。
すぐさま、友人が私の身を案じて駆け寄ってきてくれました。
彼は見てくれこそ派手に転けたものの、肝心の着地点がどろどろにソフトであったため、軽傷で済んでいたのでした。
打って変わって運悪くコンクリート側に打ち付けられた私の肘と膝は各所がズルムケ、右の太腿に至っては落下地点に大きめの小石でもあったのか、小指の第一関節大ほどの穴が空いており、流れ出る新鮮な血がズボンに赤い地図を描いていました。
「ナガタ、大丈夫か…?マジで」
心優しい友人のマジなセリフ。彼だって無傷というわけではないのです。
(これは…引き返すべきだろうか…)
迫られる選択と、滴る血。泥だらけの友人に、不吉なおっさんの貝殻。楽しい旅行に突如として鳴り響く蛍の光。…果たして二人は旅を続けることができるのか!?
次回!なんだかんだで普通に立ち直った二人が、特に山場もなく歩いたり飯食ったりする!ついに話が一日も進まなかったが今度こそ迎えるか2019年!?こっちはもう8月だ!!乞うご期待ください。
【続きはこちら】
2018-2019 ラオス旅行記 vol.2
【vol2.の道のり】
12/30 ビエンチャン→ルアンパバン
…だけ⁉︎
だけっす。すんません。
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ビエンチャンからルアンパバン空港に到着した頃には、辺りはもうすっかり夜になっていました。
「予約したホテルまでどうやってたどり着けばいいんだろう」という面倒な問題は頭の隅にギュッとねじ込み、エコノミーシートで損ねたヒザの機嫌をとるべく屈伸運動に精を出していたところ、バックパッカー風の若い白人アベックがチラチラとこちらを見ていることに気が付きました。
祖国ニッポンでは、見知らぬ他人様がチラチラとこちらを見ていた場合、
「オォ?」「アァン?」「ナメトンカワレ」
といった呪詛を唱えつつ相手に近づき、胸ぐらを摑んでそのまま顔に勢いよく唾を吐きかけるのが男性社会のマナー、所謂パンキョーであるわけですが、なにせここは異国の地、自分たちの文化を知ってもらいたい気持ちをグッと堪えて「ハロー!」と笑顔で挨拶をしました。
件の白人アベックと話してみると、
「タクシー代を安くあげるために、互いのホテル近くの大通りまで相乗りしよう」
といういかにも三文旅行記にありがちな展開となり、適当に呼び止めて適当に値段交渉した適当なおっさんのトクトクに4人して乗り込みました。
走行中、ルアンパバンの生温かい夜風に揺られながら「このままホテル近くに到着して後は寝るだけ〜!」という安心感で、目の玉ロンパリ涎垂れ流し職質待ったなしのマヌケ面でボケーッとしている私に、チャーリー・セクストン似のナイスガイな彼氏は持ち前のサービス精神を過剰に発揮して到着までの20分余りの間、身振り手振りも交えながら継ぎ目なく楽しげに話をしてくれました。
しかし、こちら側の体力と学力の問題上「俺たちはジュネーブから来た」以外に何を言ってるのか全然分からないまま笑顔で永久に別れました。
適当に値切りすぎたせいか、トクトクのおっさんは予定していた場所よりも離れた地点で半ば職務放棄的に俺たちを降ろし、渋々夜の大通りを地図片手にえっちらおっちら15分ほど歩いたところで、ようやく事前に予約したホテルを発見しました。
チェックインのため受付に向かうと、一目で「これは!面倒臭い!」と分かる書類手続きを求められたので、それらをまるっと友人に押し付け、一足先にソファの割れ目に顔を埋めたり、ウェルカムドリンクを注文したり、生ぬるいレモンスカッシュにむせ返ったりしているうちに全ての手続きが済んでおりました。
もちろんこのホテルを探して予約してくれたのも友人です。多謝多謝。我愛你。
やっとこさ部屋に案内され、悲願であった重い重いバックパックからの解放を果たしました。
この時すでに弱音だけで写経が出来るぐらいには疲弊しきっていた私は、我先にとズボンを脱ぎ脇目も振らずに布団&枕ズとよろしく乳繰り合い始めていたのですが、友人の方を見ると、なにやら"ジョニー大倉のロックンロール抜き"みたいな風貌の従業員から地元ナイトマーケットの場所を聞き出しています。
「えぇ…」を惜しみなく漏らす俺の顔を見ながら彼は、
「今から一緒に行こうや」
と、ことも無げに言い放ちました。
もし、この時の僕の<行きたくなさ>が握力に変換されたら、250kgを悠々と上回り、エリックファミリーを軒並みリング上でぶち殺したのち消息を絶ってプロレス界の永遠の語り草となるほどでしたが、実際はもはや舌打ちをする気力すら残っていなかったので言われるがまま、ヤブだと分かりきっている歯医者に行く心持ちでルアンパバンのナイトマーケットへと向かいました。
過去のタイ&ベトナム旅行時の経験から淡く期待はしていたのですが、ラオスTシャツの、「脳みそを出来るだけ使わずに作りました!」的な、どこをどう間違っても高級品には見られないチープイズクールなデザインの数々に魅せられ、うっかりユルユルのガバガバになろうとする財布の純潔を守るのに一苦労でした。
もしも私が「おじいちゃんおばあちゃん(ワンセット)なら、速攻その場で生命保険を解約、店ごと丸々買い占めていたところですが、結局のところ私はおじいちゃんおばあちゃん(ワンセット)ではなかったので普通に気に入ったものを2枚買って店を後にしました。
その後数ブロック歩いたところで、大量の怪しげなビンに囲まれた、上品めに言って"穢多非人スタイル"の老婆に呼び止められ、コブラやサソリの死骸がもりもり浮いているアントン・ラヴェイのおやつみたいなウォッカを勧められるがまま、5杯6杯と飲み干しました。
そして、老婆が7杯目を差し出してきたあたりで生来酒に弱い宿命を背負う友人の顔色は腐り落ちて爆ぜた隣家の柿のようになり、唇小刻みに震えわせながら「行こ、死ぬ」と繰り返し始めたので、逃げるようにその場を去りました。
すでに酩酊というよりは軽いてんかんに近い震え方をしている友人の背中をさすりながらマーケットの最奥まで進むと、そこには大きなライブステージが特設されており、愛らしいドレスを着た現地の女性がポンチャックよりぺらぺらな二拍子爆音オケにのせて、異様なほど抑揚のない歌声を披露しておりました。
その"ラオス製の李博士"みたいな音の津波に、先ほどのサタニズムウォッカ7連発で軽く融解させられていた脳みそは完全にメルトダウン。下手なクラブの泡パーティよりも踊ってしまった気がします。
"気がします"という妙な言い方をしたのは、不思議とこの時の記憶だけがすっぽりプチ・ブラックアウトしており、思い出すことが出来ないからです。そんなトルエンみたいな青臭アシッド体験でこの日のナイトマーケットは幕引きとしました。
余談ですが泡パーティには一度も行ったこともないし誘われたことすらありません、見栄を張りました。
不気味なアルコールと不快な轟音による動物実験的苦痛に苛まれる中、「なんでもいいから胃に放り込もう」という方向で二人の欲求は合致し、帰り道はレストランにすかさず飛び込みました。
一般的な旅ブログにとって肝心要と言える食事内容については一切覚えていないので写真を見て判断する限り、"カオニャオ(a.k.a 無味おはぎ)"と"ラープ(a.k.a.酸っぱ辛挽肉)"、"カオソーイ(a.k.a 薄カレーラーメン)"などを食べた気がします。
前回にも書いたのですが、ラオス料理の味付けはかなり口に合うので、ウマイウマイとたらふく食ったおかげですっかり元気と体力を取り戻し、
「いやぁ、来てよかったなぁー」
「明日はなにして遊ぼうか!」
などと二人で笑い合いながらホテルに帰ってぐっすり眠りました。
次回vol.3では二人共バイク事故で死にかけます、他人の不幸の詳細を乞うご期待!
【続きはこちら】
2018-2019 ラオス旅行記 vol.1
貴重な年末年始の休みをドブへと捨てるべく、友人と2人でラオスに行ってきました。
【vol1.の道のり】
2018年12月29日。
何とか各々の仕事を納めて、まだ見ぬラオスへいざ向かわんと関西国際空港に集合してみたはいいものの、2人して行く気が全く起きませんでした。
とりあえずチェックインまで少し時間があったので、特に入りたくもない店の、別に食べたくもないカツカレーをクチャクチャ食べながら、
「…そろそろチェックイン、せなあかんなぁ」
「…せやなぁ」
という会話だけを虚しく響かせて、どちらもお地蔵さんのように動かない。そんな徳の多いやり取りが何度も続きました。
私はこの時心底、「今すぐ帰って家でゆっくり過ごしたい」と強く願っていたのですが、不思議と友人も同じ気持ちであることがハッキリと伝わってきました。
以心伝心、水魚之交、幸先のいい旅のスタートでした。
重い腰を上げてみれば、年末の出国ラッシュというものでピーチのカウンターは旅行者風人間のごった煮状態でした。
格安航空などではなくJALやANAを使えばいいものを、貧乏人が多い世の中というのも困ったものです。
その中でも貧乏の筋金入りである我々は、手荷物の重量オーバーによる追加の金の支払いを恐れ、計量器をコソコソと避けるようにチェックインし、無事に日本を発ちました。
乗り換えのため、韓国は釜山(プサン)の<金浦(キンポ)空港>で一度降ります。
この日の釜山はまさに凍てつく寒さで、口を開くのはおろか、ポケットから両手も出せないほどでしたので、私は無口なヤンキーの霊を憑依させたつもりで無心で歩き、沙上(ササン)→西面(ソミョン)→ポムネコルと電車を乗り継ぎ目的のゲストハウスに到着したところ、"思ひ出の保健室"のような部屋を与えられました。
オーナーのおじさんは痩せっぽちのキツネみたいナリのよく喋る小男で、まるで熟練のスリみたいでしたが実際は腰が低くてとても親切な韓国紳士の方で、荷物もスろうとはしませんでした。
これはゲストハウスの共用スペースです。
ペコペコなので食料を漁りますが、湿気でシラケきったポッキー似の謎菓子しかありませんでしたので、寒さを厭わず外出することにしました。
なにも考えず、壊れたファービーように「サムイ。サムイ。」と繰り返しながら辺りをほっつき歩いていたのですが、さすがに2人とも限界がきて、目についた焼肉店に飛び込みました。
店員さん達は英語はダメといった具合でしたので、メニューを片手に特になんの意図もないジェスチャーを色々試してみたところ、向こうも負けじと適当に全種類の肉をごそっと持ってきてくれました。
冷凍モノでしたが味はとても良く、手製の脂っこいナムルや正体不明の葉野菜(少なくとも知ってるチシャの形状ではなかった)とのマリアージュは、それはもう絶妙なものでした。
たらふく食って酒もそれなりに飲んで、お会計は2人で約2500円。これほど豚の命が軽い国があったのだなぁと、大満足で店を後にしました。
翌朝は6時に起床、タクシーで金浦空港へ向かい、9時発のビエンチャン行きの飛行機に乗り込みます。
写真はまるで後光が差しているかのようですが、韓国のビールはどいつもこいつも美味しくはありません。
機内で朝からビールを注文し、あたかも我が世の春かのようですが、こいつもまぁ美味しくないです。
ビエンチャンのワットタイ空港に到着。
ルアンパバンに向かう国内便の乗り換えまで3時間ほどあったので、バスタクやトクトクで外に出て昼食を食べようと計画していたのですが、一ヶ所しかない空港の両替所には外国人たちの長蛇の列が出来ており、並ぶのを渋りました。
「そうだ…並ぶほかに道はないんだ…」と悟るのに20分ほどかかりました。
タクシーで一旦空港を離れて市街地へ。
ベトナム旅行時以来の再会となるメコン川を懐かしみながら、川沿いを少しぶらつきました。
写真奥に見える小さな遊園地のような施設からは、なぜかバスドラムみたいな音が不規則なリズムで延々と鳴っていました。
時間もないので、近くの屋台風の店に適当に入ったのですが、ここがもう大当たりでした。
"汁なしのインスタントラーメン風焼きそば"や"エビをふんわり揚げたっぽいもの"を食べたと思うのですが、あまりに美味しくて写真を撮り忘れるどころか記憶も定かではない始末です。
ウエイトレスをこなす気立ての良さそうな娘さんが、料理を運ぶ合間に自前のスピーカーでお気に入りの曲を流してくれていたのですが、それらが今まさに眼前に広がるラオスの風景や気候とぴったりと合っており、舌でも耳でも東南アジアの旅情にどっぷり浸らせてくれたのでした。
<このバンドでした→
Musketeers (@musketeersband) • Instagram photos and videos
>
ラオスを代表するビール『ビアラオ』。
これがまた美味しくて、お値段およそ100円(大ビンで)。
"ポスト水"というか、もはやペットボトルの水より安いのです。以降、写真や文章内でビアラオが出ていなくても裏で飲んでいると思って読み進めていただいて差し支えありません。
ビエンチャンの心地よさもよそ目に、ルアンパバンへ向かうため空港に引き返して国内線にチェックインしました。
国内線のロビーはとても簡素で、ぽつんとある売店はまるで在庫一掃セールのような有様でした。
写真右側のレジ店員が、スマホに食い入るように動画を見ているので、どんなものかと後ろから覗いてみたところ『どっちの料理ショー』に酷似した番組でした。
ビアラオの缶をレジに置いても、彼女は私の方には目もくれず、ラオス版関口宏の鮮やかな司会ぶりに釘付けでありました。
簡素の波は喫煙所にまで及んでいました。
「これ(Jamiroquai - Virtual Insanity (Official Video) - YouTube)みたいや!!」
と2人で写真を撮ってはしゃいでいたのですが、帰国後見直してみると全然違いました。
そんなこんなで、無事ルアンパバン行きの飛行機へと乗り込んだのでありました。
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