【vol5.の道のり】
01/01 ルアンパバーン-クアンシーの滝周辺
【以下本文】
今年ももう2月になりましたね。
俺は一応自由業として経済に参加中の身分なので、世の会社員達が決算前のスパートをかけてバリバリ働いている中、昼間から安居酒屋で焼酎ボトルを空けたり、えいひれを炙ったり、早めの老後を満喫しています。
その日もいつも通り、二階堂を水で割りながらポテトサラダをちびちびやっていたところ、隣の爺が身を乗り出して携帯の画面を見せてきました。
「これ!俺の彼女の若い時の写真!行きつけのスナックのママなんやけどな、俺に惚れとんねん!えらい美人やろ!?」
と、その語気だけで同調せざるを得ないほどのすごい剣幕です。
一つだけ、その写真には問題がありました。
実際に爺に惚れているかどうかはさておき、彼女は確かに品のある精悍な顔立ちをしていて、スタイルも抜群、言うことなしです。
ただ、〈完全なるチェ・ジゥ〉なのです。
若い頃の写真、というにはあまりにも時代錯誤な高解像度。完璧にもほどがあるライティング。臭いほど匂うフォトショップの芳香。そもそも的な圧倒的な既視感。それらから導き出される答えは一つ。
そう 、〈完全なるチェ・ジゥ〉です。
全然マイナーでもない韓流女優のガチの宣材写真を、自分の若い頃のものとして常連客に流布する婆の胆力には頭が下がる思いがありました。
しかし、いくら真実であるからといって他者の幸福を侵害する権利など一体どこにあるでしょうか?
「これチェ・ジゥですよね?」
などと言い切り、それをあけすけに証明してみせて、一体誰が幸せでしょうか?真実がイコール幸福なら、今すぐ首をくくらない人間がいるのでしょうか?
俺にはどうしてもその一言が口に出せず、膨れ上がる爺の得意顔に身を任せて、すごい美人ですねー、さぞかし今もお綺麗なんでしょうねー、羨ましい限りですー、といった菩薩ナイズ嘘の応酬でやり過ごす以外の選択肢がありませんでした。爺の顔はどんどんほころんでいきます。酒場における正しい一期一会を体現出来たと、我ながら満足していました
その時です、爺の無血開城を必死に試みる私を嘲笑うが如く、
「いや、これチェ・ジゥやん!」
近くに座る婆が非情にも言い放ちました。それは一本の猛毒矢。この席における最大のタブー。インターネットに、明日朝、どこそこの小学生を背の順に殺す、と書き込む程の暴挙。俺は二の句が見つからず口をつぐんでしまいました。
「違う違う!これは俺の彼女の若いころや!」
と抗う爺、しかし、婆はあろうことかその場で画像検索をやって見せ、全く同じ写真を爺に突きつけました。
「ほれ、見てみィ!!」
〈知らぬが〉を担当する仏が、爺を見放した瞬間でした。
傍で一部始終を眺める俺はあまりにも無力で、塩を振られた青菜のような爺を無言で見つめる事しか出来ず、人生何かに騙されていないとやってられねぇんだよな、そうだよな、爺ィ。と、声にならない慰めを反芻するばかりでした。
騙されて生きることは、ゆっくりとした安楽死である、とはよく言ったものです。今考えたので多分誰も言ってませんが。こんばんは、ナガタです。大好物を喉に詰まらせて死ねばめっちゃ安楽死じゃん!と思ったんですがサムゲタンでした。厳しいです。それでは本編です。
部屋で目を覚ます、暑い。暑すぎる。一張羅のパジャマは一夜でベトベト、部屋の中で何も燃えていないのが不思議なほどの暑さ。ベッドシーツは血にまみれてる、寝てる間にネズミでも潰したみたいに。冷蔵庫に入れるのを忘れていた生ぬるいビアラオを開け、ベランダの椅子に腰掛け一息つく。両脚に血が滴っている、夢半ばでボーッとした頭がゆっくり現実を捕まえてゆく、昨日のバイク事故、ネズミ殺しの犯人。暑さが痛みと手を取り合って、下半身がまるで火で炙られてるみたいな錯覚がする。
ベランダからルアンパバーンの路上を眺める。今晩にはこの土地を後にする予定だ。今日でお別れだと知っていると、取るに足らないものなんて何一つない。ホテル前で観光客を狙うシクロ、爆音でEDMを垂れ流しながらも誰一人として店員のいない携帯ショップ、超高速で蛇行運転をかますアベックのオートバイ、冷蔵庫三台に余ったスペースで子供を山盛り詰めた軽トラック、それらの土埃をふんだんに被った煎餅を売ろうとする露天商。全てが地球上で一番綺麗な場所を彩る電飾みたいに見える。なばなの里?根拠のない感傷が涙腺をかどわかす。
「今日はクァンシーの滝に行こや」
遅れてベランダに来た友人の言葉で、俺は完全に夢から覚める。いや、お前は今日でお別れしない。なけなしの旅情を返してくれ。とりあえず距離を調べてみる、歩いて行くにはまず無理な距離だ。さてはこいつ、懲りずにまたオートバイに乗るつもりだな。考え直してくれ。一度深呼吸して、俺のベッドと、両脚を見てくれ。アドレナリンが一仕事を終えて、無茶苦茶に痛くなってきたところなのだ。漫画に習って、生ぬるいビールを傷口に引っかけてみたりもしたところなのだ、何の効果もなかったところなのだ。
「大丈夫やって!昨日より近いし」
友人は言う。俺はiPhoneで〈友達 思いとどまらせる〉と検索する、自殺相談ダイヤルが次々とヒットする。違う違う。いや、ある意味では合っている。合っているからダメなのだ。
恐怖に晒された時、人が取れる行動は二つぐらいしかない。まず、しこたま飲むこと。そして、人生最後の日だと思い込むこと。 今日でお別れだと知っていると、取るに足らないものなんて何一つない。心の底からどうでもいい滝を拝みに向かうため、俺は自分の身体の隅々にまでありがとうを伝えて、再びオートバイに跨った。小声でこぼしてみた不平は、暑さで低音が蒸発したようなEDMに跡形もなくかき消された。
たかが四十分のドライブに、昨日の記憶がこれでもかという量の緊張感を添える。ヘルメットの紐を締める、真っ直ぐ前を見る、余計な事は考えない、穴ボコではすぐに速度を落とす、もよおしたらすぐに用を足す。
借りたオートバイと服のカラーリングがたまたま同じせいで、立ち小便中の仮面ライダーのようになってしまっている友人の背中を眺める。決してウケを狙っているわけではないのに、偶然が積み重なり勝手にスベってしまう才能も、現代に残る呪いの一つなのかもしれないと思った。それをいちいち見咎めては口に出さずにはいられない俺もまた。
道中ですごい人だかりを見かけて思わずオートバイを止める。そこは、穴ボコだらけの悪路には似つかわしくない小綺麗なジェラード屋で、厨房には俺らと年端の変わらない青年が立っていた。押し寄せる客の波を流暢な英語と現地語を織り交ぜて捌く、その鮮やかな手並みに目を奪われていると、自分たちの番がくるのはあっという間だった。
「あ!もしかして日本人の方ですか?」
彼は日本人だった。なんでも彼は留学生で、在学中に東南アジアの雇用状況の現状について学び、いつの日か自分がそれを改善する為に実際にラオスの地で住み込みで働いている最中ということだった。
「仕事は忙しいけど、毎日がとても楽しいんです!」
好青年を絵に描いたような笑顔に、ちらりと覗く白く整然とした歯。俺が在学中にしたこと、落とし穴掘り、歯磨き粉の踊り食い、猿の手の密売、ハンモックの上で四十八手出来るかの実験etc.etc....。
「お互いに頑張りましょうね!良い旅を!」
眩しい。彼の曇りない眩しさは、一生に一度ぐらいは賢明にふるまってみようかと、俺に思わせるには十分過ぎた。俺は一つの決心をした。帰りの道中で、もしこいつが轢かれて血塗れでのたうち回って助けを求めていたら、躊躇なくもう一度轢く、しばらく待って、駆けつけた救助隊も轢く。イーヴィルアイ、南ヨーロッパに伝わる、相手を死に至らしめるというあの呪いの眼差しで、俺はもう一度彼を見る。彼は友好的に口角を上げる。ミルクジェラードは、腑に落ちない豆乳みたいな味がして、なんとかの滝に行く気はますます失せた。