2018-2019 ラオス旅行記 vol.6
【vol6.の道のり】
01/01 クアンシーの滝周辺-ルアンパバーン
【前回はこちら】
どうもこんにちは、ナガタです。
「前置きが長すぎる」「いいから本文をもっとちゃんと書け」などの声をいただいたので、今回から前置きは省きます。
自分では楽しんで書いていたフシもあって、少し後ろ髪を引かれる思いはありますが、『やりたいことと求められることは違う』的な、そういう感じもそろそろ受け入れて生きていかないとなぁという気持ちもあるので、グッと堪えます。偉い!素直!ちゃんとしてる!!!
来年30になります。
"クァンシーの滝"入り口に到着。さすがは観光名所、沢山の人間がいて沢山の店がある。
みんな、風当たりの良い軒先のベンチに腰掛けて、大して美味くもない名物を食いながら笑いあっている。トイレはもちろん有料で、便器の縁にはウンコがびっしりと迷彩模様を作っている。
こういう、いかにもずさんな観光事業らしい怠慢にワクワクする。
ベタ、なんて悪いようにも言われるが、「テンプレートそのものだ!」という場面に遭遇すると、人間は嬉しくなってしまうものだと思う。
目の前で中国人が「アイヤー!」って言うとやっぱり嬉しいし、有料便器に迷彩ウンコもまた然り、なのではないかと思う。
…え?えぇ大丈夫です。なんか違う気もしています。
そんな"ベタTHE観光地ムード"にもっとズブズブに浸るべく、目についた店でオヤツを買って食うことにした。
見慣れたタコ焼き機に見慣れない液体を流し込むお母さん。焼けるのを待っている間、アシスタントをする娘さんらしい女の子に声をかけてみた。
「テクマクマヤコン?」
外したという感覚はあった。発展途上国とはそういうことではないだろう。娘さんには一瞥されたきり完全に無視されてしまった。まもなく人生30年選手の私には、媚びたくても媚びるだけの知識がない。
「◯◯ちゃんの学校では今何が流行ってるの〜?」
と問いかけるおじさんは、こうして生まれるのかもしれない。ラミパスラミパス。
…しかし、焼きあがったこれを手渡す時、なんと彼女が微笑んでくれた。
安堵と慈愛が一気に全身を巡る。あぁなんて素敵な子なんだろうか…。欠点といえば、いつか大きくなってしまうことぐらいだろう。
気味の悪い微笑をたたえる俺の口中に、ココナッツと控えめな砂糖の甘みが広がる。
「これ結構ウマくない?」と同意を求めてみたが、友人は「アツイ!アツイ!」とこぼすばかりだった。仕方のないことだが、猫舌は共感にディレイをかけるのだ。彼がやっと「ウマイナー!」と言うころ、私は腰を上げて歩き出していた。
お目当てのクァンシーの滝は、深い緑に覆われた山道を15分ほど歩いたところにあった。
"荘厳だ"、"神々しい"、"霊性が冴えている"、etc…などと言うべきなのは分かっている。
しかし、托鉢の時と同じく、事前に画像検索を済ませていた私は何の感想も抱くことが出来なかった。「あぁ、これだこれだ」という単なる答え合わせだ。
滝のふもとまで近寄ってみる。やはり何も感じない。
隣では、タイ人と思わしき女が、彼氏に自分の写真を撮らせている。何度も写真をチェックしては、何度も撮り直しをさせる彼女。その語気は怒りでキンキンに尖っている。
よく見ると、彼女は山道には不釣合いなサテンの真っ赤なドレスにハイヒール姿、彼氏はしまむらの売れ残りそのもの。どうやら2人で写真を撮るという線は端から無いらしい。
「あ、<高慢ちき>って、並び替えると<きちまんこ>になるぞ」
滝は私に、どうしようもない気付きを与えてくれた。
下流では白人のカップルが水浴びをしていた。完全な偏見だが、白人は水を見つけてから脱ぐまでのスピードが尋常ではない。
彼女の方に軽く手を振り1枚撮らせてもらった。神々しい!霊性が冴えている!ああ、やっと言えた…。これまで漠然としていた"エデンの園"のイメージが高解像度になった。
水浴びを終えて着替えている時、やはりこのカップルも喧嘩を始めた。
…何なの?"クァンシーの滝"ってそういうとこ?別れるスポット?HEPの観覧車?女子中高生の方、万が一これを読んでいたら教えて下さい。
帰り道、メコン川に臨むロケーションの良い食堂で遅めの昼食を取る。
当然街中の店より値は張るが、おかまいなしに食べたいものを頼みまくる。もういい歳だ。そろそろ"コス"よりも"パ"を大事にしていきたい。
舌なめずりをする。食い終わってもなお美味いラオス料理。満腹になった2人の間をメコン川からの心地良い風が通り抜ける。
私たちは"パ"を存分に味わった。そして財布と相談した結果、今晩の飯は抜くことにした。
日が沈むのが思いのほか早く、街についた頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。ちょっと寄り道をすることにした私たちは、昨日までとは別の、少し辺境のところにあるナイトマーケットまで足を延ばした。
マーケットの隣には、<寂れた>という言葉で片付けるにはあまりにもサイレントヒルな遊園地が併設されていた。
営業しているのか打ち捨てられているのかの区別がつかず、試しに動力をいじってみると遊具はちゃんと動き出した。勝手に動かせるのもどうかと思うが、この不気味さにあっては小さな問題である。
遊具の一つ一つから、こちらに対する確かな殺意を感じることが出来た。そこは遊園地の皮を被った終末の地だった。
ラオスがしばしば聖地として扱われるのも、無理からぬことらしい。
世界が終わりの様相を呈しているにも関わらず、子供たちは楽しそうに遊んでいた。
カメラを向けると小さくピースをしてくれる。なんたる可愛さか。たまらない。媚びたい。学校では今何が流行っているんだろうか。
大きなテントの裏側には、物騒なものが絶妙なバランスで置かれていた。
あまりの情報量の多さに、自分の脳の閉じる音がハッキリと聞こえた。
「…帰ろか」という友人に応じて、特に何も突っ込まないまま、静かに遊園地を後にした。
終末の地のすぐ近くに、こんな名前のホテルを見つけた。もしかして確信犯なのだろうか。
フロントで値段を聞いてみると、小綺麗な割に安い。
私たちは今晩の宿をここに決め、部屋に通されるなりすぐさま眠りについた。"ネオ東京"のベッドは清潔で柔らかかった。
明日は、バックパッカーの聖地と呼ばれる"バンビエン"なる土地に向かう。
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