2018-2019 ラオス旅行記 vol.9
【vol9.の道のりとお詫び】
01/03 ずっとバンビエンです。
この欄、やっぱいらない気がするんだよなぁ…。
【前回はこちら】
ティックが得する、みたいなアプリの出現以降、ものすごい勢いで"一億総ラッパー化計画"が進んでいますね。最近では家の中も外もなく、みんなパラパラパラパラと踊っています。
この調子で、日本が歌えや踊れや的な陽気な国になってくれたらいいなぁと思ってやみません。
そのうち学校でも"レコードのこすり方"とか教えるようになって、女子中学生が素手でサボテンをぼりぼり齧りながら「アァッ!見える見える!!虹!虹ィー!!」って叫んだりするんでしょうか、富国強兵ってこういうことだったのか!!と思わされる今日この頃ですが、ナガタです。今回もトップ以外の写真がないです、ごめんごめん。
『
「アニキ…さむいよアニキ…。俺、その、やっぱ、死ぬのかな…?」
「…ああ、死ぬな」
岡野はウソをつけない自分の性分に、初めてこんなに腹が立った。
「脳味噌、出ちゃってるな…ハハ…アニキ、なぁどんな色か、見える…?」
「色?色というよりなんか焼きたてのパンみたいな匂いがする、意味がわからないし、すごい気持ち悪い、もうパン食えない。」
』
<ポリスコップ刑事(デカ) 〜死ぬのは俺たちだ‼︎〜>より抜粋。
土だらけの道を歩いていると、自分がいかに甘やかされて育ったかがよく分かる。地面の全部の箇所は俺を憎んでいて、一歩踏み出すごとに踏まれてたまるかと抵抗してくる。
憎悪は砂の一粒一粒にまで宿っていて、穴の空いたボロのスニーカーの中に断りもなくざらざらと侵入し、どうにかして私が今以上に不快になるように足の裏を撫でまくる。
立ちのぼる砂埃の酷さは相変わらずで、野良犬や野良バイクが勢いよく駆け抜けるたび、大気中の汚れた酸素をハッキリと"見える化"していく。私は、目が半分ほどしか開けられないまま懸命に歩みを進めた。閉じた方の半分にグランフロント大阪を描いて心をおさめた。
昼下がりのメインストリートには、すでに多くの酔っ払いがいた。店先では若い僧侶が、うつむいた姿勢で縁石に座り込んでいる。日本でもスーツなんて廃止にして、この橙色の袈裟で仕事をすることにすればいい。全ての昼寝は、瞑想ということで丸く収まる。ただ、転がったビール瓶だけはしまっといた方がいい。
道沿いにずらっと立ち並ぶ店々。何を売っているのかは匂いでわかる。
肉の焼ける匂い、乾いたタバコの匂い、熟れすぎたバナナの匂い。
…その中に、なにやら得体の知れない、嗅いだことのない匂いがあった。
一体何の店だろうかと見てみると、看板代わりのばかデカいダンボールに、ケバケバした色使いでこう書かれていた。
<スペースシェイク!!スペースシェイク!!ここだよ!!>
「あの、すみません、これ、何ですか?」
「イェス!スペースシェイク!」
おっさんが黒ずんだ親指を立てる。
どうやら、質問は一切受け付けないスタイルらしい。昨夜の"HAPPYサイボーグ女"(参照: 2018-2019 ラオス旅行記 vol.7 - ホワイトブログ・ラングドシャ) と同じだ。
業務用の大きなミキサーの中では、古い雑巾で紫色の汁を拭いたような模様の液体がドロドロと回っている。「これは未来の沼で汲んできたんだよ」と言われても、コロッと納得できただろう。次にはこう言うだろう「で、それ飲めんの?」。
「で、それ飲めんの?」
つい口に出してしまった。
おっさんは、手を差し出せというようなジェスチャーをすると、私の手のひらに、スプーンで2、3滴、ポタポタッと垂らしてくれた。
「うわ、汚ねぇ。甲の側を出せば良かった」と思いながら、おそるおそる舐めてみる。私は驚愕した。思っていた未満にもほどがある。長い間洗ってない水槽の藻みたいな味が、口いっぱいに広がった。
「悪いことはいわねぇ、"スモール"にしときな」
「もし"ラージ"なんか飲んじまった日には、忘れてた思い出が頭ん中で一個ずつ再放送されちまって、全部見終わるまで戻ってこれないぜ」
おっさんはペラペラ喋って、いたずらっぽくニヤリと笑った。
「OK!」私は立ち去った。
桜の樹の下には屍体があるように、シェイク屋の側には大きな女が立っているらしい。目が合うなり女は、
「マッサージ!?」と声を張り上げた。
ああ、またマッサージ嬢か。
東南アジアの旅行中、こんな風に声をかけられることは街中に出ればしょっちゅうある。しかし、今回の旅行ではその手の誘いは全て断ることにしていた。
以前訪れたベトナムでは、「財布の中身が見た〜い」と愛らしい声で脅迫されたし、タイでは、話だけでも聞いてやろうかと立ち止まると、道のど真ん中で突然羽交い締めにされて、そのままズボンのベルトを外されてあわやアニマルズ!危機一髪!ということもあった。今思い返してもあれは完全にメンズの腕力だった。
つまるところマッサージとは名ばかりの動物的ズッコンバッコン小屋であることがほとんどで、ホイホイついて行っても、どうせロクな目にあわないのだ。
そのまま無視して通り過ぎようとすると、女は小走りで近寄ってきて、俺を追い越すやいなや、道を塞ぐように目の前にずいっと歩み出てきた。
「マッサージ?」
いざ間近で見ると、女は凄まじい巨体だった。なんてこった…これは、思っていた以上だ。小隕石くらいはある。一滴のスペース・シェイクが効いてきたのかと思った。
唖然とする俺に、女はニッコリと微笑みかける。ケーシー高峰を廃油でカラッと揚げたような、ガソリンをざぶざぶと飲み干す地獄のジャングルのカバのような、そんな見た目だ。彼女は、ちゃんとしたマッサージ嬢だろうと思われた。
「ユー、マッサージ??」
彼女が俺の肩にそっと手を乗せた。象人間のように太い指、あちこちが痛々しくひび割れたそれは、彼女がれっきとした按摩のプロフェッショナルであることと、長年過酷に働き詰めてきたことを想像させるのに十分だった。あらぬ疑いを抱いた自分が、少し恥ずかしくなった。
「OK!」
マッサージしてもらってからメシを食うのも悪くないなと、俺は彼女のあとをついて店へと向かった。
そのマッサージ店は、大きめのプレハブのような造りで、その簡素さは日本の工事現場の仮設事務所に匹敵するように思われた。
「ここでちょっと待ってて」
そう言うと彼女は受付の奥へと消えて行った。静まり返った部屋には、テレビの音だけが響いていた。無造作にポツンと置かれたソファに座って、異様に痩せこけた女が片膝を立てたまま煙草をもみ消している。「ハロー」と声をかけると、女は無表情のまま俺の目を射抜くようにじいっと見たまま、まばたきもしないで次の煙草を咥えた。
「お待たせ、こっちよ」
束の間、カーテンから手招きする彼女が女神に見えた。
鉄製の窓のないドアが左右交互に並ぶ、まるで屠殺場のように狭くて湿っぽい廊下を、豚そっくりな大女に先導されて進んでいく。「そういや、<ミノタウロスの皿>って漫画があったな」俺はのんきに一人笑いをして、誘われるがまま部屋へと足を踏み入れた。思い返せば、すでにヒントは出ていた、十分すぎるほどに。
靴を脱いで裸足になると、石畳の冷気が床から身体へと這い上がる。こびりついた砂のせいで、足の裏がざらざらと気持ち悪い。
「ごめん、足を洗いたいんだけど…」
「あれを使っていいわよ」
彼女が指差す先には、青いバケツと柄杓が置かれてあった。半分ほどまで汲まれた水面に、小さな羽虫が浮かんで動かなくなっている。俺はそれらを避けるように水を掬って足元を軽く流した。頭上の裸電球には、生きのいいのがぶんぶん群がっている。
「じゃあそこに座ってて」
彼女は柄杓を奪い取ると、マットレスのある方向に俺の背中を軽く押した。それは元の色が分からないほどシミだらけの、まるで吐瀉物で作った煮こごりみたいな代物で、とても人間の寝床には見えなかった。
しかしそんなことは、今俺の目の前でこの女が始めた行為と比べると些細な問題だった。
彼女が、下半身裸でバケツにまたがり、手ですくった水で陰部を洗っている。
「おいおいマジか」つい日本語が口をつく。
まさに寝耳に水だった、といえば嘘になってしまうだろう。確かに、店に着いたときから薄々妙な気はしていた。だが、女の容姿を見るに、その仮説はどうしても受け入れられなかったのだ。そう、そうだ、まだ決まったわけではない。俺のように砂粒がまぎれ混んで、ちょっと気持ち悪かっただけかもしれない。
耳を澄ますと、隣の部屋でアシカを絞め殺しているような声が聞こえる。注意。イエローカード。
…いやいや、女性には男の想像の及ばない悩みがたくさんあるものだ。南国の女性は奔放で、初対面の男の前で割れ目を洗うことなど日常茶飯事なんだろう。きっとそうだ。これこそ杞憂だ。ここは普通のマッサージ屋なんだ。そうに決まっている。
彼女が俺を見てニッコリ笑った。象皮病のようにゴツゴツと膨れ上がった顔は吹き出物だらけで、大量のフジツボに寄生されているように見えた。
「…ねぇ、顔に乗られるのは、好き?」
レッドカード。ゲームセットだ。
こんなことになるのなら、スペースシェイクのLサイズを一気飲みしておけばよかった。少なくとも、日本製の惑星探査機が、避けきれない巨大隕石に衝突するような、ちょっとしたアトラクションは味わえただろう。もしくは、「バッファロー狩りに行こう」と、あの宿の屈強なインディアンを誘っておけばよかった。少なくとも嘘にはならなかっただろう。
だが、どれも後の祭りだ。もちろん頃合いを見て逃げ出すが、おそらく無傷では済まないだろう。なぁに、いざ始まってしまえば一瞬のことだ。腹を括ればいい。将来死刑になる予習だと思えばいい。人類皆一寸先は手錠、万が一に備えておくのは何も悪いことではない。
「それで、いくらなんだい?」遺言のつもりで呟いた。
「6000円。ロングはなし、ショートだけよ」女の目は熱っぽく潤んでいる。
6000円…だと?
信じられない。ラオスの物価は狂っている。この無様で醜い包装紙に包まれた、約70kgの水と43kgの脂肪と9kgの石灰と786gの糖分と82gの鉄分、これが6000円の価値なら、チャイは一杯4兆を軽く超える計算になる。
「ユー、オフ!ユー、オフ!」
女が服を脱げとせがみ、俺のズボンに手をかける。脱がしつつポケットの財布をまさぐる、その道に熟達した者特有の無駄のない動作だ。
そうだ、金は紙だ。全部食って、目の前で飲み込んじまえばいいんだ。俺は錯乱していた。
急に、女の手がピタッと止まった。
「お金はどこ?出して」
俺は前と後ろ、計4つのポケットを順番に探した。
「…あ、財布ないわ」つい大阪弁が口をついた。
そういえばそうだった。宿では無料のコーヒーをもらって、結局俺は財布を取りに戻っていない。うっかりそのまま、無一文で散歩に出てしまっていたのだ。
「ごめん、一銭も持ってない」言いながら、全部のポケットを裏返して表に出して見せた。女は心底呆れたように首を左右に小さく振った。
「だから、もう帰っていい?」
…助かった。
財布を忘れて、こんなに嬉しかったことはない。
「とっとと出てけ、クズ野郎」
女の変わり身がこんなに嬉しかったことも。
店を出て見ると、外は予報通りの大雨になっていた。ぬかるんだ道を走って戻り、宿に着く頃にはスニーカーは再起不能なほど泥まみれになっていた。フロントの女性が、ぐっしょり濡れた俺の姿を見つけてバスタオルをよこしてくれた。
部屋のベッドでは、友人が寝息を立てていた。今産まれたような、穏やかな寝顔。登山後の心地良い疲労感に包まれているのだろう。
「明日からは、絶対にこいつのそばから離れないぞ」
俺は勝手に誓いを立てた。
こうして、ラオス旅行初の別行動DAYは終わりを告げた。
<すでにお気付きの方も多いと思われますが、本文冒頭の抜粋は本編とはなんの関係もありません。洋書みたいでかっこE!!と思ってマネしたんですが、全然違う何かになってしまいました、ではまた来週!>