ホワイトブログ・ラングドシャ

白くて甘くてサクサク読める

2018-2019 ラオス旅行記 vol.9

【vol9.の道のりとお詫び】

 

01/03 ずっとバンビエンです。

 この欄、やっぱいらない気がするんだよなぁ…。

 

【前回はこちら】

ofurofilm.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 ティックが得する、みたいなアプリの出現以降、ものすごい勢いで"一億総ラッパー化計画"が進んでいますね。最近では家の中も外もなく、みんなパラパラパラパラと踊っています。

 この調子で、日本が歌えや踊れや的な陽気な国になってくれたらいいなぁと思ってやみません。

 そのうち学校でも"レコードのこすり方"とか教えるようになって、女子中学生が素手でサボテンをぼりぼり齧りながら「アァッ!見える見える!!虹!虹ィー!!」って叫んだりするんでしょうか、富国強兵ってこういうことだったのか!!と思わされる今日この頃ですが、ナガタです。今回もトップ以外の写真がないです、ごめんごめん。

 

 

 

 

 

 「アニキ…さむいよアニキ…。俺、その、やっぱ、死ぬのかな…?」

 「…ああ、死ぬな」

 岡野はウソをつけない自分の性分に、初めてこんなに腹が立った。

 「脳味噌、出ちゃってるな…ハハ…アニキ、なぁどんな色か、見える…?」

 「色?色というよりなんか焼きたてのパンみたいな匂いがする、意味がわからないし、すごい気持ち悪い、もうパン食えない。」

 』

<ポリスコップ刑事(デカ) 〜死ぬのは俺たちだ‼︎〜>より抜粋。

 

 

 

 

 土だらけの道を歩いていると、自分がいかに甘やかされて育ったかがよく分かる。地面の全部の箇所は俺を憎んでいて、一歩踏み出すごとに踏まれてたまるかと抵抗してくる。

 憎悪は砂の一粒一粒にまで宿っていて、穴の空いたボロのスニーカーの中に断りもなくざらざらと侵入し、どうにかして私が今以上に不快になるように足の裏を撫でまくる。

 立ちのぼる砂埃の酷さは相変わらずで、野良犬や野良バイクが勢いよく駆け抜けるたび、大気中の汚れた酸素をハッキリと"見える化"していく。私は、目が半分ほどしか開けられないまま懸命に歩みを進めた。閉じた方の半分にグランフロント大阪を描いて心をおさめた。

 

 昼下がりのメインストリートには、すでに多くの酔っ払いがいた。店先では若い僧侶が、うつむいた姿勢で縁石に座り込んでいる。日本でもスーツなんて廃止にして、この橙色の袈裟で仕事をすることにすればいい。全ての昼寝は、瞑想ということで丸く収まる。ただ、転がったビール瓶だけはしまっといた方がいい。

 

 道沿いにずらっと立ち並ぶ店々。何を売っているのかは匂いでわかる。

 肉の焼ける匂い、乾いたタバコの匂い、熟れすぎたバナナの匂い。

 …その中に、なにやら得体の知れない、嗅いだことのない匂いがあった。

 一体何の店だろうかと見てみると、看板代わりのばかデカいダンボールに、ケバケバした色使いでこう書かれていた。

 <スペースシェイク!!スペースシェイク!!ここだよ!!>

 

 「あの、すみません、これ、何ですか?」

 「イェス!スペースシェイク!」

 おっさんが黒ずんだ親指を立てる。

 どうやら、質問は一切受け付けないスタイルらしい。昨夜の"HAPPYサイボーグ女"(参照: 2018-2019 ラオス旅行記 vol.7 - ホワイトブログ・ラングドシャ) と同じだ。

 

 業務用の大きなミキサーの中では、古い雑巾で紫色の汁を拭いたような模様の液体がドロドロと回っている。「これは未来の沼で汲んできたんだよ」と言われても、コロッと納得できただろう。次にはこう言うだろう「で、それ飲めんの?」。

 

 「で、それ飲めんの?」

 つい口に出してしまった。

 

 おっさんは、手を差し出せというようなジェスチャーをすると、私の手のひらに、スプーンで2、3滴、ポタポタッと垂らしてくれた。

 「うわ、汚ねぇ。甲の側を出せば良かった」と思いながら、おそるおそる舐めてみる。私は驚愕した。思っていた未満にもほどがある。長い間洗ってない水槽の藻みたいな味が、口いっぱいに広がった。

 

 「悪いことはいわねぇ、"スモール"にしときな」

 「もし"ラージ"なんか飲んじまった日には、忘れてた思い出が頭ん中で一個ずつ再放送されちまって、全部見終わるまで戻ってこれないぜ」

 おっさんはペラペラ喋って、いたずらっぽくニヤリと笑った。

 「OK!」私は立ち去った。

 

 

 

 桜の樹の下には屍体があるように、シェイク屋の側には大きな女が立っているらしい。目が合うなり女は、

 「マッサージ!?」と声を張り上げた。

 ああ、またマッサージ嬢か。

 東南アジアの旅行中、こんな風に声をかけられることは街中に出ればしょっちゅうある。しかし、今回の旅行ではその手の誘いは全て断ることにしていた。

 

 以前訪れたベトナムでは、「財布の中身が見た〜い」と愛らしい声で脅迫されたし、タイでは、話だけでも聞いてやろうかと立ち止まると、道のど真ん中で突然羽交い締めにされて、そのままズボンのベルトを外されてあわやアニマルズ!危機一髪!ということもあった。今思い返してもあれは完全にメンズの腕力だった。

 

 つまるところマッサージとは名ばかりの動物的ズッコンバッコン小屋であることがほとんどで、ホイホイついて行っても、どうせロクな目にあわないのだ。

 

 そのまま無視して通り過ぎようとすると、女は小走りで近寄ってきて、俺を追い越すやいなや、道を塞ぐように目の前にずいっと歩み出てきた。

 

 「マッサージ?」

 

 いざ間近で見ると、女は凄まじい巨体だった。なんてこった…これは、思っていた以上だ。小隕石くらいはある。一滴のスペース・シェイクが効いてきたのかと思った。

 唖然とする俺に、女はニッコリと微笑みかける。ケーシー高峰を廃油でカラッと揚げたような、ガソリンをざぶざぶと飲み干す地獄のジャングルのカバのような、そんな見た目だ。彼女は、ちゃんとしたマッサージ嬢だろうと思われた。

 

 「ユー、マッサージ??」

 

 彼女が俺の肩にそっと手を乗せた。象人間のように太い指、あちこちが痛々しくひび割れたそれは、彼女がれっきとした按摩のプロフェッショナルであることと、長年過酷に働き詰めてきたことを想像させるのに十分だった。あらぬ疑いを抱いた自分が、少し恥ずかしくなった。

 

 「OK!」

 マッサージしてもらってからメシを食うのも悪くないなと、俺は彼女のあとをついて店へと向かった。

 

 

 

 

 そのマッサージ店は、大きめのプレハブのような造りで、その簡素さは日本の工事現場の仮設事務所に匹敵するように思われた。

 

 「ここでちょっと待ってて」 

 

 そう言うと彼女は受付の奥へと消えて行った。静まり返った部屋には、テレビの音だけが響いていた。無造作にポツンと置かれたソファに座って、異様に痩せこけた女が片膝を立てたまま煙草をもみ消している。「ハロー」と声をかけると、女は無表情のまま俺の目を射抜くようにじいっと見たまま、まばたきもしないで次の煙草を咥えた。

 

 「お待たせ、こっちよ」

 束の間、カーテンから手招きする彼女が女神に見えた。

 

 鉄製の窓のないドアが左右交互に並ぶ、まるで屠殺場のように狭くて湿っぽい廊下を、豚そっくりな大女に先導されて進んでいく。「そういや、<ミノタウロスの皿>って漫画があったな」俺はのんきに一人笑いをして、誘われるがまま部屋へと足を踏み入れた。思い返せば、すでにヒントは出ていた、十分すぎるほどに。

 

 

 靴を脱いで裸足になると、石畳の冷気が床から身体へと這い上がる。こびりついた砂のせいで、足の裏がざらざらと気持ち悪い。

 

 「ごめん、足を洗いたいんだけど…」

 「あれを使っていいわよ」

 

 彼女が指差す先には、青いバケツと柄杓が置かれてあった。半分ほどまで汲まれた水面に、小さな羽虫が浮かんで動かなくなっている。俺はそれらを避けるように水を掬って足元を軽く流した。頭上の裸電球には、生きのいいのがぶんぶん群がっている。

 

 「じゃあそこに座ってて」

 

 彼女は柄杓を奪い取ると、マットレスのある方向に俺の背中を軽く押した。それは元の色が分からないほどシミだらけの、まるで吐瀉物で作った煮こごりみたいな代物で、とても人間の寝床には見えなかった。

 しかしそんなことは、今俺の目の前でこの女が始めた行為と比べると些細な問題だった。

 

 彼女が、下半身裸でバケツにまたがり、手ですくった水で陰部を洗っている。

 

 「おいおいマジか」つい日本語が口をつく。

 

 まさに寝耳に水だった、といえば嘘になってしまうだろう。確かに、店に着いたときから薄々妙な気はしていた。だが、女の容姿を見るに、その仮説はどうしても受け入れられなかったのだ。そう、そうだ、まだ決まったわけではない。俺のように砂粒がまぎれ混んで、ちょっと気持ち悪かっただけかもしれない。

 

 耳を澄ますと、隣の部屋でアシカを絞め殺しているような声が聞こえる。注意。イエローカード

 

 …いやいや、女性には男の想像の及ばない悩みがたくさんあるものだ。南国の女性は奔放で、初対面の男の前で割れ目を洗うことなど日常茶飯事なんだろう。きっとそうだ。これこそ杞憂だ。ここは普通のマッサージ屋なんだ。そうに決まっている。

 

 彼女が俺を見てニッコリ笑った。象皮病のようにゴツゴツと膨れ上がった顔は吹き出物だらけで、大量のフジツボに寄生されているように見えた。

 

 「…ねぇ、顔に乗られるのは、好き?」

 レッドカード。ゲームセットだ。

 

 

 こんなことになるのなら、スペースシェイクのLサイズを一気飲みしておけばよかった。少なくとも、日本製の惑星探査機が、避けきれない巨大隕石に衝突するような、ちょっとしたアトラクションは味わえただろう。もしくは、「バッファロー狩りに行こう」と、あの宿の屈強なインディアンを誘っておけばよかった。少なくとも嘘にはならなかっただろう。

 だが、どれも後の祭りだ。もちろん頃合いを見て逃げ出すが、おそらく無傷では済まないだろう。なぁに、いざ始まってしまえば一瞬のことだ。腹を括ればいい。将来死刑になる予習だと思えばいい。人類皆一寸先は手錠、万が一に備えておくのは何も悪いことではない。

 

 「それで、いくらなんだい?」遺言のつもりで呟いた。

 「6000円。ロングはなし、ショートだけよ」女の目は熱っぽく潤んでいる。

 

 6000円…だと?

 信じられない。ラオスの物価は狂っている。この無様で醜い包装紙に包まれた、約70kgの水と43kgの脂肪と9kgの石灰と786gの糖分と82gの鉄分、これが6000円の価値なら、チャイは一杯4兆を軽く超える計算になる。

 

 「ユー、オフ!ユー、オフ!」

 

 女が服を脱げとせがみ、俺のズボンに手をかける。脱がしつつポケットの財布をまさぐる、その道に熟達した者特有の無駄のない動作だ。

 そうだ、金は紙だ。全部食って、目の前で飲み込んじまえばいいんだ。俺は錯乱していた。

 

 急に、女の手がピタッと止まった。

 

 「お金はどこ?出して」

 俺は前と後ろ、計4つのポケットを順番に探した。

 

 「…あ、財布ないわ」つい大阪弁が口をついた。

 

 そういえばそうだった。宿では無料のコーヒーをもらって、結局俺は財布を取りに戻っていない。うっかりそのまま、無一文で散歩に出てしまっていたのだ。

 

 「ごめん、一銭も持ってない」言いながら、全部のポケットを裏返して表に出して見せた。女は心底呆れたように首を左右に小さく振った。

 「だから、もう帰っていい?」

 

 …助かった。

 財布を忘れて、こんなに嬉しかったことはない。

 

 「とっとと出てけ、クズ野郎」

 

 女の変わり身がこんなに嬉しかったことも。

 

 

 

 店を出て見ると、外は予報通りの大雨になっていた。ぬかるんだ道を走って戻り、宿に着く頃にはスニーカーは再起不能なほど泥まみれになっていた。フロントの女性が、ぐっしょり濡れた俺の姿を見つけてバスタオルをよこしてくれた。

 部屋のベッドでは、友人が寝息を立てていた。今産まれたような、穏やかな寝顔。登山後の心地良い疲労感に包まれているのだろう。

 

 「明日からは、絶対にこいつのそばから離れないぞ」

 俺は勝手に誓いを立てた。

 こうして、ラオス旅行初の別行動DAYは終わりを告げた。

 

 

 

 

 

 

 

<すでにお気付きの方も多いと思われますが、本文冒頭の抜粋は本編とはなんの関係もありません。洋書みたいでかっこE!!と思ってマネしたんですが、全然違う何かになってしまいました、ではまた来週!>

 

 

 

 

 

2018-2019 ラオス旅行記 vol.8

【vol8.の道のり】

 

01/03 バンビエン

 もうこの欄いらないですよね。

 

 

【前回はこちら】

ofurofilm.hatenablog.com

 

 

 

 

…またしても前回の更新からとんでもなく時間を空けてしまいました。言い訳の言葉もありません。

 

 自分で掘った穴に自分で落ちて、ビービー泣き喚いているような人間に激励の言葉をかけ続け、救いのロープまで降ろしてくれた心優しい人たち。

 …思い返してみれば半年以上、あーだこーだと屁理屈をくっちゃらべるばかりで、降ろされたロープすら自力で掴もうとしない私を決して見捨てることなく、挙句には穴に大量の水を流し込んで強引に浮上させる作戦にまで打って出て、見事地上に返してくれました。彼らには感謝の言葉もありません。

 

 私は今、そこにプカプカと浮かびながらこの文章を書いています。

 穴に満たされた水は、熱くも冷たくもない人肌温度で、いつまでも気持ち良く浸かっていられます。しばらく出るつもりはありません。むしろここを秘湯として売り出して、一山築いてやるつもりです。そういえば、そろそろ大手旅行会社の広告マンとの打ち合わせの時間なんですが、ちょっと誰か、パンツを持ってきてくれません?ねぇ誰か?いるんでしょ?ねぇって。

 

 

 そうそう人肌といえば、大学時代、県外にまでその名を轟かすほどのヤリマンだった後輩Sちゃん。

 あなたから「乗馬クラブで、ついに自分の馬を買っちゃいましたー!」というLINEが届いたときに感じた、言いようのない胸のざわつき。

 そこには、「そうだ、俺はこういうものを表現したいんだった」と、自らを奮い立たせるには十分な何かがありました。

 返信には書きませんでしたが、この場を借りてついでにお礼を言わせて下さい。あなたがどうか、"乗馬"の意味を理解していますように。

 

 

 

(※注意 :今回、ぜんぜん写真がありません。カメラを部屋に忘れてました。親しげに謝りますが、ごめんな。)


 

 

 起きるのが難しい朝だった。

 バス(バン)の長距離移動による疲労と大量のアルコール、その他諸々。おかげで体感体重は10倍以上に増え、片腕の一本も持ち上がる気がしない。

 また、追い打ちとばかりに窓から差し込む陽の光が全身を柔らかく包んでいて、ぬるま湯みたいに気持ちがいい。昨夜は「こんなデカい窓があるくせになんでカーテンが無いんだ」と散々文句を言ったが、どうか水に流してほしい。おかげで今はJAFを呼ぼうかというくらい動く気になれない。

 

 隣のベッドを見やると、友人の姿はなかった。そういえば、朝から山登りに行くと言っていた。

 

 いやしかし…まさか、本当に行くとは…。

 

 苦しいバス(バン)移動を終え、そのまま真夜中までハメを外した後にとびきり早起きして、誰に頼まれたわけでもないのに登山に行く。まったくもって理解しがたい。

 一体、自分で決めただけの予定にそこまで忠実でいられるというのは、どういう思考回路のなせる技なのだろうか。私が知らないだけで、あいつはいつも「よォし、今からちょうど75分後におしっこすっぺか!」なんて考えていたりするのだろうか。

 

 自分を律することの偉大さを疑うわけではないが、瞬間的に沸き起こった衝動に応じてその都度正しい判断を下していく方が、個人的には性に合っている。

 怠惰な自分自身と真正面から向き合い、そこに一分一秒絶えず戦いを挑んでいく姿勢。それこそが男としてあるべき姿だとすら感じている。ただ、私はその戦いに一度たりとも勝ったことがないし、今後も見込みはない。

 「よォし、昼過ぎまでもう一眠りすっぺか!」とiPhoneを覗くと、時刻はとっくに昼を過ぎていた。

 こうして、ラオス旅行初の"別行動DAY"が幕を開けた。

 

 

 遅すぎた外出計画は、すぐさま緊急一時停止ボタンが押されてしまった。

 目覚ましを兼ねて、近くのカフェにコーヒーでも飲みに行こうとフロントの前を通り過ぎようとした時、不思議な光景に足が止まった。

 

 チェックイン時にもお世話になった受付の女性のすぐ隣に、"上裸の男"が立っている。顔つきこそ四十代に見えるが、その身体つきは凄まじい。単なる力だけでなく速さも感じさせる、剛と柔のハイブリッドのような肉体美。もし、俺は「スー族の勇敢な戦士なんだ」と真顔で言われても、なんの疑いも持てないだろう。

 

  「ハイ、こんにちは」

 彼が口を開いた。身体ばかり凝視していた視線を、慌てて彼の顔に合わせる。

 「どこかにお出かけですか?」どうやら彼はこの宿の関係者らしい。オーナーか何かかもしれない。受付の女性は黙ってにこにこしている。

 「コーヒーが飲みたいんですが、この辺りにいい店はありますか?」

 と聞くと、彼は、

 「コーヒーならここで飲める。バンビエンで一番の味だよ」と言って白い歯を見せた。

 ああ、出かけなくていいなんてありがたい、なんでも言ってみるものだ。

 「じゃあホットコーヒーを一つ。砂糖もミルクも抜きでください」

 値段はいくらくらいだろうか、まぁ外の店で飲むよりは少し高めだろうな、などと考えながらポケットに手をつっこむ。財布も小銭も、なんにも入っていない。危ない危ない、うっかり外に出ていないでよかった。部屋に取りに戻るから持っててくれ、と伝えようとすると、

 「宿泊客はタダでいいよ。そこのソファに座って待ってて」

 彼は察した様に笑った。なんて格好いいんだ。グレート・スピリットなインディアンを生で見れて、とても光栄に思う。今後バッファローに襲われそうになったら、この人に電話しよう。

 

 隣にいた受付の女性が、ポットを手に取りシンクに向かう。彼女はそれに水道水をなみなみと注いで火にかけると、小さなスティック状の袋の口を破って、中の黒い粉をサッとマグカップに入れた。"バンビエンで一番美味いコーヒー"の淹れ方を見届けて、俺は指定されたソファに腰掛けた。

 

 チェックインした時には暗くて全然気がつかなかったが、この宿のフロントは素晴らしいロケーションだった。

 吹き抜け造りで開放感抜群、清潔でふかふかのソファに腰掛けながら、いかにも南国らしい陽射しと風の匂いを存分に堪能することができる。

 その上、よく手入れされた美しい庭がすぐ目の前に広がっていて、鮮やかな原色の草花や、そこに集まる見たこともない極彩色の鳥達が目と耳を同時に楽しませてくれる。

 とても安宿とは思えないリゾート感だ。おそらく、節約した客室のカーテン代を全部このフロントにつぎ込んでいるんだろう。ついでに、このお湯そっくりのコーヒー代もだ。

 

 テーブルの下にはたくさんの本が平積みにされていた。当然ながらどれもこれも洋書ばかりでまともに読めそうなものはなかったが、見覚えのある一冊に目が止まった。

 破れて染みのついた表紙には、『The Silence of the Lambsと書いてある。羊たちの沈黙…学生時代に何度も何度も読み返した、大好きな本だった。

 

 だらだらと語って皆を退屈させてしまわないように、ごく手短に紹介したい。

 冒頭で、FBIの女性訓練生クラリスが、職員の男にコートを掛けてもらうシーンがある。

 《

 「ありがとう」彼女が言った。

 「大歓迎さ。一日に何回、糞をする?」

 「いまなんて言ったの?」

 「女には邪魔になるもんがない。屈めば出て来るのが見られるし、空気に触れて色が変わるのが分かる。どうなんだ?でかい茶色の尻尾が生えたように見えるのか?」

 「コートを返して。自分で掛けるから」

 》

 

 いやはや、なにを食って育ったらこんな凄いやり取りを思いつくのか。どう考えても常軌を逸していて、神がかり的としか言いようがない。何気なくページをパラパラとめくっているだけのつもりが、いつもここで心を鷲掴みにされてそのままラストまで読んでしまうのだ。

 ご多分に漏れず、今回も気づけばかなりの時間読みふけっていた。よく知っている場面が原書ではどう書かれているかをなぞっていくのは、あたかも英語をスラスラと読めているような錯覚を覚えられてつい夢中になってしまう。

 

 受付の女性が、とっくに空になったマグカップを下げにやってきた。彼女はそれをシンクに置くと、今度は折りたたまれた大きなビニールシートを両手に抱えて、

 「夜は雨が降るみたいよ」

 と、私の方を見ないまま言った。

 慣れた手つきで、次々にビニールの幕が掛けられていく。ついさっきまで目の前に広がっていた庭は、もうすっかり覆われてしまった。

 

 貧乏性なもので、雨だと言われると晴れてるうちに外に出ないと勿体無い気がしてくる。本を閉じて立ち上がると、ビニールの表面には滲んでぼやけた自分の姿があった。

 「シャワーも浴びてないけど、まぁ、いっか」

 私は気休めに髪をちょこっと触って、散歩に出かけた。

 

 

【続きはこちら】

ofurofilm.hatenablog.com

 

 

 

2018-2019 ラオス旅行記 vol.7

【vol7.の道のり】

 

01/02 ルアンパバーン-バンビエン

 これ多分いらないですよね

 

 

【前回はこちら】

ofurofilm.hatenablog.com

 

 

 

 あまり宣伝のようなことはしたくないのですが、少しだけお付き合いください。

 

 先日、自分の店(BAR)をオープンさせました。

 店にはいつも自転車で向かうのですが、ある日の晴れた午後、うらぶれた工場地帯に差し掛かったあたりで、少し前を走る一台の自転車に目が止まりました。

 乗っていたのは水で戻したばかりのかんぴょうのようなおじさん。着ている作業着らしき服は黒ずんだ油の染みだらけで、刑務所の床に吐き出されたチューインガムを思わせました。

 歩く方が早いような速度で右に左にフラフラ漂っているので、早々に追い越してしまおうとペダルに力を込めたそのとき、

 「カーーーーッ!!」

 というイキのいい出囃子がおじさんから鳴ったかと思うと、

 「…ベッ!!」

 

 濁った破裂音とともに"薄黄色っぽい粘性の体液"が吐き出され、それはちょうど右側から抜き去ろうとした私の左手の甲に、十点満点のフォームで着地しました。こんなに小規模の惑星直列が起きるなんて、NASA職員でも予測できたでしょうか。

 

 溶けたナメクジの死骸みたいなそれをしばらく眺めていると、おっさんと自分と太陽系の間に<3人だけの秘密>が出来てしまった気がして、目の前がぐにゃりと歪みました。

 

 このように、日食やら月食やらもあんまり大したもんじゃないなと思うわけですが、みなさんいかがお過ごしでしょうか、ナガタです。

 店(BAR)は地下鉄『蒲生四丁目駅』から徒歩3分!屋根等完備!雨でも濡れません!

www.instagram.com

 

 

 

 

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 ルアンパバーン最後の朝。起きると、友人はすでに荷物をまとめてシャワーを済ませていた。

 彼は周到にも昨晩の間にバンビエン行きのバスを予約しており、そのバスターミナルへと向かうトゥクトゥクはすでにホテル入り口で待機しているから、急いで準備しろという。

 憧れだったバンビエン。

 ここからバスで片道6時間ほどかかり、1日3便ほどしか出ない。

 なんでもっと早く起こしてくれなかったんだ。

 

 昂ぶる俺に友人は、

 「いや、昨日言ったやん」

 の一点張り。

 

 …ああそうだろうとも、お前は昔から折り目正しいところがあるし、こういう時に下手なウソはつかないタイプだ。確かに昨日俺はそれを聞いたんだろう。

 しかし聞いた本人に全く記憶がない場合、伝えたと頑なに主張することは、現在の危機的状況に対していかなる意味を持ち得るのか、そもそもこの場合の忠言というのは来るべき未来のある瞬間に対して不測の事態の起こる可能性をなるべく減少させようという双方の利を目的とした試みであるからして裏付けのない主張によって片方の責が担保されるということはそもそも命題に根本的な誤りを孕んでい…

 

 ブツブツこぼしながら寝癖に水をぶっかけて、バタバタと乱暴に荷物をまとめる。     

 コーヒーを飲みながら友人は言う、

 「ま、間に合わんかったらまた考えようや!」

 カップの上では、湯気がゆったりと揺れていた。

 

 この日の朝、私はルアンパバーンで一番ダサかった。

 

 

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 転げそうな駆け足でホテルの玄関に出ると、トゥクトゥクに腰掛ける運転手の姿が見えた。

 「遅くなってすみません…!」

 「ハロー!なにも問題ないよ」

  足元にそびえる吸い殻の山が、彼の優しい嘘を暴いている。

 「お前ら、朝メシは済ましたのか?」

  善意か皮肉か、判断がつかない。

 「イェス、ノープロブレム」

  と今にも鳴りそうな腹をさすりながら答え、埃っぽい車内に乗り込んだ。

 

 「よし、途中で何人か拾っていくからな」

  乗客は私たちが最初だった。 

 

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 ルアンパバーンの街をチンタラと走り回る車内。吹き込む南国の風は、何度寝返りをしてもまとわりつく毛布のように鬱陶しく、自分が乗り物酔い体質であること、そしてそれがそれなりに重いことを、否が応でも思い出させてくれる。

 

 途中、同乗してきた白人やアラブ人が、これから向かうバンビエンについて話に華を咲かせている。

 「やあ!キミはどこから来たの?」

 「…ノース、コリア」

 胃袋の不快感が、私にこんなことを言わせた。のだと思う。

 自分のいい加減さに少し嫌気がさしたが、言われた側はその比ではなかったらしい。以降全員が貝のように口を閉ざし、車内には自然と重苦しい雰囲気が流れた。

 

 バックミラーの隣では、小さなネズミのぬいぐるみが車の振動に揺られていた。

 バスターミナルに着くまでのおよそ30分間、俺たちを含む乗客の全員は、それがボールチェーンに振り回され、タイヤの吹き上げる砂埃で汚れてゆく姿をじっと見守って過ごした。

 

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 「バンじゃん」

 バスターミナルに到着した私の第一声がそれだった。

 

 嘘だろ…バンはバスじゃないだろ…。今からこれで、こんな狭い車にすし詰めにされて、6時間以上、このあいだ原付で死にかけたあの悪路を、"地球のすっぴん"のようなあぜ道を行くのか…。

 腹が減った。スナック菓子でも欲しい。別に気持ち悪くて食べれなくてもいい。せめて車内で気を紛らわせてくれるような何かが欲しい。

 

 「同乗の連中が遅れるらしい、ここで待機だ」

 運転手が言った。

 

 すでに出発予定時間は大幅に過ぎている。彼は日陰の縁石に腰掛けて、2本目のタバコに火をつけ始めた。

 

 空腹のため、胃袋はもう寺子屋の雑巾ように絞り尽くされている。商店らしきものを求めて辺りを見渡せども周囲は『エルトポ』のような荒野。私たちはおとなしくその場に座り込み、"遅刻してる不届きな連中"を待つほかなかった。

 

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 1時間半は経っただろうか。連中はやって来た。山盛りの食い物を抱えて。

 

 男女6人組、白人のグループだ。

 彼らの<コカイン!グラム100円!>のような異様なハイテンションは、地雷処理班の寝床みたいなこのバスターミナルにはとても場違いな感じがした。

 

 酷暑と待ちぼうけで溶けかけの地蔵のようになっている我々に向かって、先頭を歩く小太りの女がケロッと言い放つ。

 「遅くなってごめんねーっ!!」

 

 彼女の両手に握られた大きなビニール袋。年越しの買い出しとばかりに、カレーや揚げ物らしきものが所狭しと詰め込まれている。

 また別の女は、まるで祝福の花束をもらったみたいに、ビール瓶をこぼれ落ちそうなほど胸に抱えている。

 

 そうだ、遅刻は、いつだって犯す方が優位だ。

 それは、来るべき未来のある瞬間に対して不測の事態の起こる可能性をなるべく減少させようという双方の利を目的とした試みであるからして裏付けのない主張によって片方の責が担保されるということはそもそも命題に根本的な誤りを…

 

 …今朝、俺も寝坊をかました。

 この世に因果の力があるとすれば、この不条理も私自身が招いたものなんだろう。

 ただ一つだけ確実なのは、友人は"因果のない応報"を今朝から2回も浴びたということだ。

 

 抗議したい気持ちをそんな諦念で押し殺し、俺は無言のままバンに乗り込んだ。誰よりも早く窓際の席を確保する。汗ばんだ肌が塩化ビニールのシートに触れて、全身をラップに包まれて風呂に入れられているような不快感だった。

 「あいつもさぞ不満げな表情をしてるだろう」と友人の席を覗き込むと、彼はすでにアイマスクにイヤフォンで完全武装を済ませ、うっすら寝息を立てている。

 

 <旅慣れ>という言葉がある。

 この素晴らしい能力は、生まれながらにして決まっているものらしい。

 

 かたや<旅慣れず>の宿命を持つ私のような輩はこういう時、これから我が身に巻き起こる災厄についての、優れた予言者となってしまう。

 

 え?よせばいいのに。

 うん、同感だ。でもやめられないのだ。

 

 

 今回の予言は次のような内容だった。

 

 『バスは山道へと分け入っていく。延々と曲がりくねった悪路は、ずっとコブシの演歌のように耐えがたい。いろは坂が俺の三半規管を粉々に吹き飛ばす火薬だとしたら、カレーや揚げ物の匂いは車内に充満したメタンガスといったところだ。あとはなにかしら"ごく小さな火種"さえあれば、ただちにコトは済む。

 響き渡るアーパー白人男女の甲高い嬌声。わざわざ頭蓋を切り開くまでもなく、彼らの脳みそはベビーカステラそっくりだと分かる。血圧がどんどん低気圧になる。神が瞳にとっての瞼を発明した時、なぜ耳と鼻にはそれを応用しなかったのだろうか。底意地の悪さか、怠慢か、あるいは二日酔いだったのか。いずれにせよ小一時間ほど問い詰めたい。おいちょっとそこに座れ。お前さあ、そもそも排泄後に毎回ケツを拭かなきゃいけないこと然り云々…』

 

 以上。

 

 実際、これはほとんど的中してしまった。

 外れていたことといえば、"私の太ももを優しく撫でる手"があったことくらいだ。隣は中国産のゲイ風味人間だった。

 そっと中指を立てる。もう口を開く気力もなかった。

 <バンじゃん>

 これが私の辞世の句になるのは目前だった。その時、

 

 …!!!

 一筋の光明が脳裏をかすめた。

 

 『尿意が芽生えている。』

 …そうだ。なぜもっと早く気がつかなかったのだろう。運転手含む乗客全員が6時間以上もおしっこを我慢できるわけがない。どこかでトイレ休憩があるに違いないのだ。

 

 しかし、肝心のその時がいつ訪れるかが分からない。もしも運転手に尋ねたとして、2時間後などという返事があったら、その"ごく小さな火種"で私の身体は木っ端微塵に吹き飛び、車内に爆散する液体(ex.ナガタ)に、乗客たちは身をよじらせ金切り声をあげることになるだろう。

 

 それは危険な賭けだった。だが、どのみち溺れるのなら、少なくとも岸には近づいていたんだと思って死んでいきたい。

 私は意を決し、尋ねた。

 「あと15分くらいだ」

 運転手は確かにそう言った。あと15分だけ生きてみようと思った。 

 

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 山の中腹に位置する休憩所で、バスは停車した。

 重いドアを開けるとすぐに新鮮な空気と静寂とが私を歓迎してくれた。

 

 思わず目を閉じて深呼吸をし、淀んだ体内を換気する。とんでもなく心地がいい。肉体のありとあらゆる部分が、今初めて外の世界に触れたようだった。

 

 「おおっ、すげぇ…」

 友人の感嘆の声に呼ばれてみると、そこにはため息が漏れるほど豪華絢爛な光景が広がっていた。

 空と大地と植物のそれぞれが、大自然のおびただしい秘密を抱えながらも互いに結びつき、時には侵しあいながら、この一つの景色を形作っている。

 自分がこの先何年生きても、その秘密のたった一つも明らかになることはないのだと思うと、なんだかどうしようもなく恐ろしい気がした。

 私たちは畏敬に似た心持ちで、眠れる怪物のようなそれを起こさないよう、そっと眺めるしかなかった。

 

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  引き続き、怪物を起こさないようにそっと小便を済ました。途中景色に見とれていたために少しこぼしてしまった。

 

 バスへと引き返していると、現地人と思しき一人の痩せこけたおっさんがゆらゆらとこちらに近づいてきた。彼は片方の手で股間を掻きむしりながら、もう片方の手を私の目の前に差し出す。

 「五十円払え」

 「え?なんで?」

 「すごい良い景色だろ?金払え」

 

 これは、まさに完璧だと思った。

 そうだ、<ひたすら素晴らしいだけの、完全無欠なもの>なんて、この世に存在してはいけないのだ。

 "アキレウスの腱"、"ジークフリートの背中"、"芳一の耳"のように、この絶景にとっては"このおっさん"こそが唯一の欠点であり、同時にその欠点のおかげで存在が許されている。"このおっさん"込みで、この大自然の絶景が完成していると思うと、胸が高鳴った。

 「うん、ラオスの神はちゃんと鼻毛が出ている。信用できる。」

 今回の旅もいよいよ終わりに近づいている。その鼻毛に、あとの運命を委ねてみるのもいい。

 清々しい気分だった。私は再びバスに乗った。おっさんにはビタ一文払わなかった。

 

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 思っていたより、残りの行路はずいぶん楽だった。

 他の乗客たちの全員が眠りにつき、車内は墓地のように静まり返っていた。長い山道を終えると、民家がちらほらと見えてきた。とても雨風をしのげそうもないあばら家と半裸で軒先に横たわる住民たちとを、夕映えが黄金に染めている。

 それらに見とれているのも束の間、ふいに訪れた夕闇が、女が慌ててシーツを被るような手際で、その煌めく貧困と醜悪をサッと覆い隠し、もはや何も見えなくなった。

 

  視線の先が10mなのか1kmなのかも分からない真っ暗闇の中、ふと前方に小さな光が見えた。最初一つの塊のように見えたそれは次第に砕けて、バラバラに散らばっていく。破片の一つ一つが色を変えながら少しずつ大きくなる。それは原色だけで描かれた、けばけばしいネオンの灯たった。

 私たちは、やっとバンビエンに着いたのだ。

 

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   霧雨、ガソリン、焦げた肉の香り。熱帯特有の腐臭はもうすっかり嗅ぎ慣れてしまった。

 …はずだが、この町にはどうにも、スパイスがもう一つばかり混ざっている気がした。

 

 大通りから外れた狭い路地に入ると、ぬかるんだ地面に足がずるっと滑った。暗闇に目が慣れると正体不明の水たまりが、化膿した傷口のように道に広がっている。ケミカル臭が鼻腔をつく。ちいさな呻き声が聞こえる。足元では一人の男が、野垂れ死ぬ練習をしていた。

 

 出発前、ある人がこんな風に言っていた。

 「いやいや、それは古いイメージだよ。最近では全然そんなことはないよ」

 しかし、長い年月をかけて浸透した"汚水"は、どうやらそう簡単には蒸発してくれないらしい。

 <バックパッカー>という言葉にある、うらぶれた旅情の数々が地面の平らな部分全てをびっしりと覆っている。バンビエンはそんな町だった。

 

 私たちは、晩メシの店を探し歩きながら、タバコの吸い殻を指先でピンと弾いて、水たまりに沈めた。そうする方が正しいとばかりに。

 

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 店先に置かれたメニューを手当たり次第に物色していると、従業員らしい少年がかつてないほどのプレッシャーを与えてくる店があった。

 無言で腕を組んで足を肩幅まで開き、眉間に縦じわを寄せて睨みつける、彼はまさしくホスピタリティ界の仁王像だった。

 「入らば殺す」

 そうはっきりと口に出される前に入店するしかないだろう。

 「2人で」

 友人がそう告げると、彼はすぐさま踵を返して席に案内してくれたが、ベロがちぎれるほどの舌打ちをするのを忘れなかった。

 

 「ようこそぉ!イラッシャイマセー!」

 ウェイトレスの女性は、うってかわって明朗だった。

 ボーリング玉のような胸と尻を、ドンキの売れ残りのようなナース服が悲鳴を上げながら包んでいる。ショートカットの金髪にはたった一本の乱れもなく、安物のかつらみたいに見える

 

 彼女が、世で言う<セクシー>に当てはまることは間違いないだろう。

 だが生活感というか、"人間の手触り"があまりになさすぎる。女性よりも家電に近い。ペッパー君の筆下ろしには適任かもしれないが、そんな未来は見たくない。

 

 「こちらがメニューになりまァす」

 雑なラミネートが施された一枚の紙を手渡される。料理名は全て英語で書かれていて助かったが、一つだけ気になるところがあった。

 メニュー裏側を見ると、あちちこちに<HAPPY>という文字列が散らばっているのだ。HAPPYオムレツ、HAPPYピザ、HAPPYケーキにHAPPYティー…。単なる飾りつけにしては、念が入りすぎていた。

 

 「このHAPPYメニューっていうのはどういう意味?」

 返事をする代わりに彼女は微笑んだ。毛穴のない顔に引かれた口紅が、砂漠に一枚だけ落ちた花びらのように、いかにも何か意味ありげだった。

 

 しばらくして、彼女が料理を運んできた。

 頼んだのは、"Lサイズのピザ"と"チキン&ポテトフライ"。どこのどんな店で食っても一定の味が保証された、旅行時の安心料理だ。

 熱いピザを掴んで、滴るチーズを指で巻き取るようにすくって口に運ぶ。

 …?

 …美味い。いや、期待をしていなかったというのも確かにある。しかし、そのギャップを差し引いても、掛け値無しに、これまで食ったピザの中で一番美味い。シェフの顔が見たい、できることならその爪の中に舌先を差し込んで舐めたい。

 

 厨房を見やるつもりで店の奥に視線をやると、青紫のライトが漏れるビニールカーテンの中で、大量の植物が生い茂っている。

 訝しがる私の顔を、サイボーグの女が膝を曲げて覗き込む。

「HAPPY!」

 彼女はその植物園を指差して言い放った。お前まだいたのかよと思った。

 

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 それなりに混んでいたが、店内は驚くほど静かだった。

 男女のグループもいたが、談笑をしている様子はない。黙ったまま、にんまりしたり、泣きそうな顔をしたり…。皆が皆、それぞれ"自我のB面"に聴き入っているみたいだった。「ここには声のない歌手がいて、店のどこかで歌っているんだよ」と言われても不思議ではなかった。

 

 …トントン。

 不意に肩を叩かれ振り向くと、背中合わせに座っていた女がこちらを見ている。

 「タバコ、一本くれない?」

 「いいよ」と差し出すと彼女は、

 「これ本当にタ、バ、コ、よね?」

 「あなた、嘘ついてないわよね?」

 と妙な勘ぐりをしてきた。

 

 私は「間違いなくタバコだよ」と言いかけたが、彼女の眼差しがまるで街中が透明になったかのようにずっと向こうを、私の顔も、店の壁も突き抜けて、もっとずうっと遠くを見つめているのに気づいて、答えるのをやめた。

 

 友人はどんな反応だろうと前を向き直すと、 彼はちょうど『Booking.com』で今夜の宿の予約を済ませたところで、

 「オッケ!出るか!」

 と勢いよく腰を上げた。

 頼もしすぎる<旅慣れ>に、少しの寂しさを覚えた。

 

 店の入り口ではさっきの"仁王少年"が、こと切れたピノキオのようになって地べたに座り込んでいる。「ついに死んだのかな」と思って眺めていると、突然こちらに手招きをしてきた。水中でしているようなゆったりとした動作だった。口元がうねうねと動いている。何か喋っているのだと気づくまで、少し時間がかかった。

 「おい、目を閉じろ」

 言われた通りにしてみる、

 「息を止めてみろ」

 「…」

 

 「宇宙にようこそ!」

 少年はケラケラ笑った。

 瞼を開けると、夜空は青っぽい黒だった。

 私はなんだかいっぺんにこの町が好きになった。

 

 

 「明日は別行動にしよう」

 安宿の湿ったベッドに腰掛けながらそう提案し、この日は眠りについた。

 "この町を一人きりで、あてもなくぶらつき歩きたい"

 こんな素朴な欲求が災いの元になるなんて、この時どうやって予測出来ただろうか。

 

 <旅慣れず>

 私はまだ、自分の宿命を甘く見ていた。

 

 

【続きはこちら】

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2018-2019 ラオス旅行記 vol.6

【vol6.の道のり】

 

01/01 クアンシーの滝周辺-ルアンパバーン

 

 

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    どうもこんにちは、ナガタです。

    「前置きが長すぎる」「いいから本文をもっとちゃんと書け」などの声をいただいたので、今回から前置きは省きます。

    自分では楽しんで書いていたフシもあって、少し後ろ髪を引かれる思いはありますが、『やりたいことと求められることは違う』的な、そういう感じもそろそろ受け入れて生きていかないとなぁという気持ちもあるので、グッと堪えます。偉い!素直!ちゃんとしてる!!!

 

    来年30になります。

 

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 "クァンシーの滝"入り口に到着。さすがは観光名所、沢山の人間がいて沢山の店がある。

 

   みんな、風当たりの良い軒先のベンチに腰掛けて、大して美味くもない名物を食いながら笑いあっている。トイレはもちろん有料で、便器の縁にはウンコがびっしりと迷彩模様を作っている。

 

    こういう、いかにもずさんな観光事業らしい怠慢にワクワクする。

 

    ベタ、なんて悪いようにも言われるが、「テンプレートそのものだ!」という場面に遭遇すると、人間は嬉しくなってしまうものだと思う。

    目の前で中国人が「アイヤー!」って言うとやっぱり嬉しいし、有料便器に迷彩ウンコもまた然り、なのではないかと思う。

 

 …え?えぇ大丈夫です。なんか違う気もしています。

 

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 そんな"ベタTHE観光地ムード"にもっとズブズブに浸るべく、目についた店でオヤツを買って食うことにした。

 見慣れたタコ焼き機に見慣れない液体を流し込むお母さん。焼けるのを待っている間、アシスタントをする娘さんらしい女の子に声をかけてみた。

 

    「テクマクマヤコン?」

 

    外したという感覚はあった。発展途上国とはそういうことではないだろう。娘さんには一瞥されたきり完全に無視されてしまった。まもなく人生30年選手の私には、媚びたくても媚びるだけの知識がない。

 

「◯◯ちゃんの学校では今何が流行ってるの〜?」

 と問いかけるおじさんは、こうして生まれるのかもしれない。ラミパスラミパス。 

 

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 …しかし、焼きあがったこれを手渡す時、なんと彼女が微笑んでくれた。

 安堵と慈愛が一気に全身を巡る。あぁなんて素敵な子なんだろうか…。欠点といえば、いつか大きくなってしまうことぐらいだろう。

 

   気味の悪い微笑をたたえる俺の口中に、ココナッツと控えめな砂糖の甘みが広がる。

 「これ結構ウマくない?」と同意を求めてみたが、友人は「アツイ!アツイ!」とこぼすばかりだった。仕方のないことだが、猫舌は共感にディレイをかけるのだ。彼がやっと「ウマイナー!」と言うころ、私は腰を上げて歩き出していた。

 

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 お目当てのクァンシーの滝は、深い緑に覆われた山道を15分ほど歩いたところにあった。

 

    "荘厳だ"、"神々しい"、"霊性が冴えている"、etc…などと言うべきなのは分かっている。

 しかし、托鉢の時と同じく、事前に画像検索を済ませていた私は何の感想も抱くことが出来なかった。「あぁ、これだこれだ」という単なる答え合わせだ。

 

    滝のふもとまで近寄ってみる。やはり何も感じない。

 隣では、タイ人と思わしき女が、彼氏に自分の写真を撮らせている。何度も写真をチェックしては、何度も撮り直しをさせる彼女。その語気は怒りでキンキンに尖っている。

 よく見ると、彼女は山道には不釣合いなサテンの真っ赤なドレスにハイヒール姿、彼氏はしまむらの売れ残りそのもの。どうやら2人で写真を撮るという線は端から無いらしい。

   

    「あ、<高慢ちき>って、並び替えると<きちまんこ>になるぞ」

 滝は私に、どうしようもない気付きを与えてくれた。

 

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 下流では白人のカップルが水浴びをしていた。完全な偏見だが、白人は水を見つけてから脱ぐまでのスピードが尋常ではない。

 

    彼女の方に軽く手を振り1枚撮らせてもらった。神々しい!霊性が冴えている!ああ、やっと言えた…。これまで漠然としていた"エデンの園"のイメージが高解像度になった。

 

    水浴びを終えて着替えている時、やはりこのカップルも喧嘩を始めた。

    …何なの?"クァンシーの滝"ってそういうとこ?別れるスポット?HEPの観覧車?女子中高生の方、万が一これを読んでいたら教えて下さい。

 

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 帰り道、メコン川に臨むロケーションの良い食堂で遅めの昼食を取る。

 

    当然街中の店より値は張るが、おかまいなしに食べたいものを頼みまくる。もういい歳だ。そろそろ"コス"よりも"パ"を大事にしていきたい。

 舌なめずりをする。食い終わってもなお美味いラオス料理。満腹になった2人の間をメコン川からの心地良い風が通り抜ける。

 

   私たちは"パ"を存分に味わった。そして財布と相談した結果、今晩の飯は抜くことにした。

 

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 日が沈むのが思いのほか早く、街についた頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。ちょっと寄り道をすることにした私たちは、昨日までとは別の、少し辺境のところにあるナイトマーケットまで足を延ばした。

 

 

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 マーケットの隣には、<寂れた>という言葉で片付けるにはあまりにもサイレントヒルな遊園地が併設されていた。

    営業しているのか打ち捨てられているのかの区別がつかず、試しに動力をいじってみると遊具はちゃんと動き出した。勝手に動かせるのもどうかと思うが、この不気味さにあっては小さな問題である。

 

 

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 遊具の一つ一つから、こちらに対する確かな殺意を感じることが出来た。そこは遊園地の皮を被った終末の地だった。

 

    "昼間にエデンの園かと思えば、夜にはもうラグナロク。"

 ラオスがしばしば聖地として扱われるのも、無理からぬことらしい。

 

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 世界が終わりの様相を呈しているにも関わらず、子供たちは楽しそうに遊んでいた。

    カメラを向けると小さくピースをしてくれる。なんたる可愛さか。たまらない。媚びたい。学校では今何が流行っているんだろうか。

 

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 大きなテントの裏側には、物騒なものが絶妙なバランスで置かれていた。

 

    あまりの情報量の多さに、自分の脳の閉じる音がハッキリと聞こえた。

 「…帰ろか」という友人に応じて、特に何も突っ込まないまま、静かに遊園地を後にした。

 

 

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 終末の地のすぐ近くに、こんな名前のホテルを見つけた。もしかして確信犯なのだろうか。

 

    フロントで値段を聞いてみると、小綺麗な割に安い。

 私たちは今晩の宿をここに決め、部屋に通されるなりすぐさま眠りについた。"ネオ東京"のベッドは清潔で柔らかかった。
    

 明日は、バックパッカーの聖地と呼ばれる"バンビエン"なる土地に向かう。

 

 

【続きはこちら】

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2018-2019 ラオス旅行記 vol.5

【vol5.の道のり】

 

01/01 ルアンパバーン-クアンシーの滝周辺

 

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 今年ももう2月になりましたね。

 

  私は一応"自由業"という"無職"と紙一重のビジネスマンなので、世の会社員達がラストスパートをかけてバリバリ働いている中、昼間っから安居酒屋で焼酎ボトルを空けたり、えいひれを炙ったり、早めの老後を満喫しています。

   

   その日もいつも通り、二階堂を水で薄めながらポテトサラダをちびちびやっていたところ、隣の爺が身を乗り出して携帯の画面を見せてきました。

 

    「これ!俺の彼女の若い時の写真!行きつけのスナックのママなんやけどな、俺に惚れとんねん!えらい美人やろ!?」

 

    と、語気だけで同調せざるを得ないほどのすごい剣幕です。

 

   見ると、その写真には一つだけ問題がありました。

 

   実際に爺に惚れているかどうかはさておき、彼女は確かに品のある精悍な顔立ちをしていて、スタイルも抜群、言うことなしです。

 

    ただ、<完全にチェ・ジゥ>なのです。

 

    "若い頃の写真"というにはあまりにも時代錯誤な高解像度。完璧にも限度があるライティング。匂い立つフォトショップの芳香。圧倒的な既視感。それらから導き出される答えは一つ。

 

    そう 、<完全にチェ・ジゥ>です。

 

   全然マイナーでもない韓流女優のガチの宣材写真を、自分の若い頃のものとして常連客に流布する婆の胆力には頭が下がる思いがありました。

   

    しかし、いくら真実であるからといって他者の幸福を侵害する権利など一体どこにあるでしょうか?

 

     「いや、これチェ・ジゥですよね?」

 

    などと言い切り、それをあけすけに証明してみせて、一体誰が幸せでしょうか?真実がイコール幸福なら、今すぐ首をくくらない人間がいるのでしょうか?

 

   私にはどうしてもその一言が口に出せず、膨れ上がる爺の得意顔に身を任せ、「すごい美人ですねー」「さぞかし今もお綺麗なんでしょうねー」「羨ましい限りですー」といった"菩薩ナイズ嘘"でやり過ごす以外の選択肢がありませんでした。


 「せやろ?せやろ?」


 どんどんほころぶ爺の顔。酒場における正しい一期一会を体現出来たと、我ながら満足でした。

 

   と、その時です。

 そんな爺の無血開城を必死に試みる私を嘲笑うが如く、

 

    「いや、これチェ・ジゥやん!」

 

    近くに座る婆が非情にも言い放ちました。それは一本の猛毒矢。この席における最大のタブー。ネット掲示板に、「明日朝、どこそこの小学生を背の順に殺します」と書き込む程の暴挙。私は二の句が見つからず口をつぐんでしまいました。

   

    「違う違う!これは俺の彼女の若いころや!」

 

    抗う爺。しかし、婆はあろうことか鮮やかな手つきで画像検索をやってみせ、全く同じ写真を爺に突きつけました。

 

    「ほれ、見てみィ!!」

 

 

   <知らぬが>を担当する仏が、爺を見放した瞬間でした。

 

 

   傍で一部始終を眺める俺はあまりにも無力で、塩を振られた青菜のような爺を無言で見つめる事しか出来ず、人生何かに騙されていないとやってられねぇんだよな、そうだよな、爺ィ。と、声にならない慰めを脳内で反芻するばかりでした。

 

    『騙されて生きることは、ゆっくりとした安楽死である。』とはよく言ったものです。今考えたので多分誰も言ってませんが。こんばんは、ナガタです。大好物を山盛り頬張って喉に詰まらせて死ねばめっちゃ安楽死じゃん!と閃いたのですが、サムゲタンでした。うまくいかないもんです。それでは本編です。

 

 

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 目を覚ますとすぐ暑い。一張羅のパジャマは一夜にしてベトベト。暑すぎる。部屋の中で何も燃えていないのが不思議なほど。血にまみれたベッドシーツは、寝てる間にネズミでも踏み潰したみたいだ。

 

 昨夜冷蔵庫に入れるのを忘れていた生ぬるいビアラオを開け、ベランダの椅子に腰掛け、一息つく。両脚に血が滴っている、夢半ばでボーッとした頭がゆっくり現実を捕まえてゆく、昨日のバイク事故、ネズミ殺しの犯人。暑さが痛みと手を取り合って、下半身がまるで火で炙られてるみたいな錯覚がする。

 

    ベランダからルアンパバーンの路上を眺める。今晩にはこの土地を後にする予定だ。

 今日でお別れだと知っていると、取るに足らないものなんて何一つない。

 ホテル前で観光客を狙うシクロ、爆音でEDMを垂れ流しながらも誰一人として店員のいない携帯ショップ、超高速で蛇行運転をかますアベックのオートバイ、冷蔵庫三台に余ったスペースで子供を山盛り詰めた軽トラック、それらの土埃をタップと浴びた煎餅を売ろうとする露天商。

 全てが地球上で一番綺麗な場所を彩る電飾みたいに見える。なばなの里ってこんな感じ?根拠のない感傷が涙腺をかどわかす。

 

    「おぅ、今日はクァンシーの滝に行こうや」

 

    遅れてベランダに来た友人の言葉で、俺は完全に夢から覚める。いや、お前は今日でお別れじゃない。なけなしの旅情を返してくれ。

 "クァンシーの滝"?とりあえず距離を調べてみる、歩いて行くにはまず無理な距離だ。まさかこいつ、懲りずにまたオートバイに乗るつもりか。考え直してくれ。一度深呼吸してから、私の血濡れたベッドシーツと、両脚を見てくれ。アドレナリンが一仕事を終えて、無茶苦茶に痛くなってきたところなのだ。漫画に習って生ぬるいビールを傷口に引っかけてみたりもしたところなのだ、何の効果もなかったところなのだ。

 

    「大丈夫やって!昨日より近いし」

 

    友人は言う。私は無言のままiPhone片手に<友達  思いとどまらせる>と検索する、自殺相談ダイヤルがこれでもかとヒットする。違う違う。いや、ある意味では合っている。合っているからダメなのだ。

 

    逃れようのない危険に晒された時、人が取れる行動は多分2つしかない。まず、しこたま飲むこと。そして、人生最後の日だと思い込むこと。 今日でお別れだと知っていると、取るに足らないものなんて何一つない。

 心の底からどうでもいい滝を拝みに向かうため、私は自分の全身の隅々にまでありがとうを伝えて、再びオートバイに跨った。小声でそっとこぼした不満は、暑さで低音が蒸発したようなEDMに跡形もなくかき消された。

 

 

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 たかが40分そこらのドライブに、昨日の記憶がこれでもかという量の緊張感を添えてくる。

 ヘルメットの紐を締める、真っ直ぐ前を見る、余計な事は考えない、穴ボコではすぐに速度を落とす、もよおしたらすぐに用を足す。

    

    借りたオートバイと服のカラーリングがたまたま同じせいで、"立ち小便中の仮面ライダー"になってしまった友人の背中を眺める。

 決してウケを狙っているわけではないのに、偶然の産物としてスベってしまう才能も、現代に残る呪いの一つなのかもしれないと思った。それをいちいち見咎めては口に出さずにはいられない私もまた。

 

 

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 道中ですごい人だかりを見かけて思わずオートバイを止める。

 そこは、穴ボコだらけの悪路には似つかわしくない小綺麗なジェラード屋で、厨房には私たちと年端の変わらない青年が立っていた。押し寄せる客の波を流暢な英語と現地語を織ぜて捌く、その鮮やかな手並みに目を奪われていると、自分たちの番がくるのはあっという間だった。

 

    「あれ!もしかして日本人の方ですか?」

 

    彼は日本人だった。聞けば彼は大学の交換留学生で、在学中に東南アジアの雇用状況の現状について学び、いつの日か自分がそれを改善する為に実際にラオスの地で住み込みで働いている最中ということだった。

 

    「仕事はすごく忙しいけど、毎日がとても楽しいんです!」

 

    好青年を絵に描いたような笑顔に、ちらりと覗く白く整然とした歯。私が大学時代にがんばったこと、巨大な落とし穴掘り、歯磨き粉の踊り食い、猿の手の密売、ハンモックの上で四十八手出来るかの実験etc.etc....。

 

    「お互いに頑張りましょうね!良い旅を!」

 

   眩しい…。彼のその曇りない眩しさは、「一生に一度ぐらいは賢明にふるまってみようか」と、私に思わせるには十分過ぎた。

 

 私は一つの決心をした。<帰りの道中で、もしこいつが轢かれて血塗れでのたうち回って助けを求めていたら、躊躇なくもう一度轢く、しばらく待って、駆けつけた救助隊も轢く。>

 "イーヴィルアイ"、南ヨーロッパに伝わる、相手を死に至らしめるというあの呪いの眼差しで、私はもう一度彼を見る。彼は友好的に口角を上げる。ミルクジェラードは、腑に落ちない豆乳みたいな味がして、なんとかの滝に行く気はますます失せてしまった。

 

 

【続きはこちら】

ofurofilm.hatenablog.com

2018-2019 ラオス旅行記 vol.4

【vol4.の道のり】

 

01/01 ルアンパバーン-クアンシー滝周辺

 

この欄いります?

 

 

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ofurofilm.hatenablog.com

 

 

 

 「秋がやって来たぞ〜」と見上げていた紅葉が翌朝には全て散っているような速度で冬になりましたが、皆さま体調も崩さずお元気にされていますか?

 元気に食べ物を食べたり、飲み物を飲んだり、歩道に仰向けにぶっ倒れている爺に大丈夫ですかと尋ねて、

「…寝とるだけやぇ!!」

と叱られたりしていますか?私はしています。お久しぶりです、ナガタです。

 

 世間はもうすぐクリスマスなわけですが、二十歳の私がガールズバーバーテンダーandご意見番and痰壷として働いてた頃、イヴの夜に小汚い爺が一人で来店しまして、カウンターに座るなりおもむろにビニール袋に入った栗を取り出し、店の女の子たちに配り始めたんです。

 突然の小汚い秋の再訪に、もちろん店内の気温は外気を大きく下回ったわけですが、爺は懸命に、

「エミちゃんの栗はこのくらいかなあー?ユリカちゃんの栗は…」

と、次元の低すぎる下ネタを添えて栗を配り続けます。

 しかし、朝も昼もまとめて夜に売り渡したアマゾネス達にとってはドリンクも奢らない爺の下ネタなど児戯に等しく、石のように口を閉ざして冷笑すら返しません。

    あまりの空気に耐えかねた私が、

「飲み物はトリスでいいですか?」

とせめてもの手向けを送ったところ、ようやく何人かの女の子が少し笑い出し、ホッと胸をなでおろしました。

  その一言が仇となります。

 

 一世一代の下ネタを”持っていかれた”と思った爺は顔を赤らめて逆上、血圧が心配になるほどの青筋を立て、

「これ一本入れっから!お前一気に飲め!!!」

と叫びます。

   無論、そんなことはできないのでいつものように薄ら笑いでやり過ごしていたところ、無慈悲にも一部始終を見ていた客達がコールをし始めたことで風雲は急を告げます。

 救済を求めてアマゾネス達を見ると彼女たちはころりと寝返って、楽しそうに叫んでいます。

 「イッキ!イッキ!」

 「イッキ!イッキ!イッキ!」

 「イッキ!イッキ!イッキ!イッキ!」

 「イッキ!イ キ! ッキ!  キ!…

 

 

 

   …目を覚ますと知らない畳の上で毛布を被っていました。

   頭痛と吐き気を堪えて部屋を出てみると、これまた見知らぬ爺が朝食を食べています。彼は事態が飲み込めないで立ち尽くす私に『泥酔して玄関先に倒れている若造を助けたお話』を語ってくれました。

 

    お礼を言って家を後にしようとしたところ、奥方らしき写真が飾られた仏壇に『甘栗むいちゃいました』が供えられているのを見つけて、"運命"というもののしょうもなさに鳥肌が立ちました。知らない爺ABと過ごすクリスマスも悪くないものです。

 

 

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   さて、余りにも長い前置きを見て賢明な読者の方々は既にお気付きかと思われますが、今回は<たいして書くことがないの回>です。爺のエピソードは水増しにはもってこいです。

   なので、多少駆け足気味にはなりますが、いつもと変わらぬご支援ご協力ご嘲笑を賜りますよう何卒よろしくお願い申し上げます。

 

 

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  前回、死線をゆるやかにさまよった挙句到着したのは、"バーン・サーンハイ"という村で、普通に書けば"クソ田舎"、良いように書けば"のどかな小さな村"です。

 

 この村からは”パークウー洞窟”への船が出てまして、そこは4000体もの仏像が安置されている事でそこそこ有名な観光地になっているのです。

 

 はっきり言って興味もないし、むち打ちで身体中痛いのでこのまま引き上げてもよかったのですが友人が、

 「4000体の仏像やで?俺は絶対見たい」

 とか言うので、(早食いのくせに信仰心はあるんだな…)と感心して着いて行くことにしました。

 

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 村ではたくさんの子供達が嫌な顔一つせず懸命に働いています。日本もこれに見習って、子供たちには進研ゼミなんて無駄なことはさせず、無料の労働力として絞り尽くした後はカブと煮込んでシチューにするのがいいのかもしれません。

 

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 『半壊したボート小屋にあるのは、半壊したボートである。』という名言がありますが、船首が大丈夫だと言ってはばからないので、"最悪泳げる距離っぽい"を確認した上で乗り込みました。エンジンは何度引っ張ってもかかりません。

 

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 冷めきった目でかからないエンジンを眺め続ける我々の横を、立派な屋形船が悠然と川を渡ってゆきます。地獄の沙汰も仏像を拝むのも金次第です。

 

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 辿り着いた"パークウー洞窟"には、前情報の通りに大量の仏像が安置されていました。

 人間は、"すごい多い"とか"すごい大きい"にとりあえず圧倒されてしまうもので、しばらくはその絢爛さに目を奪われていたのですが、一つ一つを細かく見てみると中には明らかに手を抜いているものもあり、

 「とにかく数をいっぱい集めたいんだ!」

 「クォリティ?後だ!」

 というシマリス的な強迫神経症を患った教徒がかつていたのだろうなとしみじみしました。

 

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 やはりというか洞窟周辺は観光客目当ての商売人でいっぱいで、一人の女の子が得体の知れない生魚を売りつけようと友人に終始張り付いていました。

 食うのか飼うのか、用途不明の命を問答無用に売ることも4000体の仏像の前では一切が赦されています。

 

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 一度ホテルに帰って簡単な止血などをした後、夕食のために再度出かけました。

 <不安、ここに極まれり>といった見てくれの橋を恐る恐る渡ってみると、到底似つかわしくない小洒落たレストランがありました。

 そこはどうやら"ラオス風すき焼き"のお店らしく、価格は日本円にして2500円弱と、今考えると決して高くはないのですが、すでに金銭感覚が"東南アジアモード"となってしまっている我々には叙々苑(ディナー)に等しく、背筋を正して今年最後の晩餐をここでとることにしました。

 

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 ラオス風すき焼きの味は、"アジアかぶれの女がコンソメスープに訳のわからない調味料を入れまくった"ような、普通のでいいのに系のものでしたが、隣のテーブルに座っていたゲイカップルと思しき白人男性が、相手の目をじーっと見つめながら卵のお尻に箸の先をぐりぐりして穴を開けていて、「いつか自分もこうやってベッドに誘ってみたい!」と、十分に前向き感のある食事となりました。

 

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 腹ごしらえの済ませて今年最後の礼拝に参加した後、例の爆音ポンチャックが流れていた特設ステージ[vol.2参照: 2018-2019 ラオス旅行記 vol.2 - ホワイトブログ・ラングドシャ]に、年越しのカウントダウンを見に行きました。

 

 壇上ではおそらく知事とか議員とかであろうそこらへんの偉い方々が長々と演説をぶっています。<まあまあ恰幅のいい初老男性が背広を着てステージで喋ると結構偉い人に見える>というのは万国共通のようです。

 

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 遂に2019年を迎え、いかにもB級C級な花火がしどけなく打ち上げられます。

 現場には多くの白人カップルがいたので「絶対にキスしてるはずだ!」という好奇心を抑えきれずに辺りをキョロキョロしてみると、

 

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 ちゃんとしていて、おかげで胸が"年越しだなぁ"で一杯になりました。

 

 次回はようやくルアンパバーンを出ます。

 

 

 

 

【続きはこちら】

ofurofilm.hatenablog.com

 

『8otto(オットー)』のこと

 昔、スイスとフランスの周辺で、金はおろか目的すら持ち合わせず、半ば自棄となって日々の生活をやりすごしていた時期があった。フランス語もてんで分からない身分でありながら、知り合いに頼み込んでなんとか日雇いの解体屋の職を得たものの、勤務態度はと言えばコンプライアンスなんぞどこ吹く風、解体中の家々から金目の物をこっそりくすねては(どうせ全て残さず処分してくれと仰せられているのではあるが)、町外れの骨董屋にせこせこと売りに行き、小銭を握ってはその夜の内にバーで酒に変えてしまう有様であった。

    当時の僕は「どうにでもなれ」と「どうしたらいいんだ」の狭間でへべれけになっていた。

 

 その日の仕事帰りもいつも通り、目ぼしい陶器やら彫像やらを抱えて店に行き、それらの品定めをする店主のオヤジを横目に、

「今日はバーで常連客達の悪ノリに参加して、正体を失くすまで飲もう。」

などとちゃちな計画をしていると突然、普段は寡言沈黙としてほとんど雑談もしようとしないオヤジが、珍しく自分から口を開いて何かを話し始めた。それが独り言の類ではないことはわざわざ英語を使っていることからも明らかであったし、そもそも金以外の全てを持て余す僕がそこに耳を傾けない理由はなかった。

 

「ものの良し悪しを見抜くのに、悪いものを知る必要はない。良いものだけをひたすらずっと見続けていればいい。自ずと悪いものも分かるようになる。」

 

 それだけ言うとオヤジはぱたりと口を閉ざし、無言のままはした金を差し出した。店を後にした僕は結局どこにも寄らず、真っ直ぐ帰途についた。何か重要な啓示を受けたと勝手に思い込んでしまったのだろう。家に着くなり冷蔵庫を開け、余らせていたビールを開けながら煙草をくゆらせた。

 

 

 さらに時は遡って十代も終わりに差し掛からんとするある日のこと、僕は〈8otto〉というバンドを知った。

 十代男子の唯一の責務である「意味もなく友人宅に集まって無為な時間を過ごす」という業務をソファでダラダラとこなしていると、不意に内一人の友人が、

「このバンド、かっこよくない?」

と、ライブ動画を見せてきたのである。

 不承不承耳を澄ましてみた率直な感想は、

(いつかどっかで聴いたことある感じがする。洋楽ナイズされてんなー)

という不遜極まりないものだった。当時の僕は〈4AD〉や〈SUB POP〉に傾倒していて、「日本製」というだけで眉をひそめるほど短絡的な思考で生きていた。救い難いほど「ナイズ」されているのはまさに自分の方だというのに、どうやら今以上に脳みそにディレイがかかっていたのだと思う。

 そんな背景もあって、僕はろくに動画も見ないままに、

「ふーん、いいやん」

とだけ生返事をして、再びソファに横になった。横目にちらりと見たPCの画面ではサングラスの人がベースを対戦車ライフルの様に振り回していた。

 この時の浅知恵の代償は数年後、きっちりと支払わされることになる。

 

 

 とある宴席で、「対戦車サングラスの人」トラさんとご一緒させてもらう機会があった。彼は行き届いた気配りと、人見知り特有の人懐こさを持ってして場を大いに盛り上げており、初対面の僕に対しても、お互いの家が近いと知るやすぐさまに、

「マグロの美味い店があるから今度一緒に行こう!」

と持ちかけて、あっさりと連絡先を交換してくれる始末であった。

 

 後日、早速トラさんから着信を受けた。

「先日はありがとうございました。マグロの件ですか?今晩は空いてますよ!」

と僕が嬉々として告げると、

「フレディマーキュリーとしてMVに出てくれ」

と、返ってきた。

 とてもシラフとは思えない提案であったが、先の席でトラさんの人柄にすっかり魅了されていた僕は、詳細など何も聞かないままに快諾する事にした。

 

 その日の夜に近所の焼き鳥屋で再会を果たし、MVの段取りをする中で、当該曲である〈SRKEEN〉と〈Another One Bites The Dust〉を聴かせてもらうことになった。初めて拝聴して以来数年ぶりに聴く〈8otto〉である。

 その時僕は、

「鳥はマグロではない」

と膨らしていた自分の顔から血の気が引いていくのを感じた。

 そこには、尖り続けて一回転したからこそ得られるのであろう「高貴な大衆性」があり、前述のオヤジを借りると、それが「良いもの」であることは疑いようがなかった。僕は、音楽に対する昔の自分の浅学非才に恥じ入ると同時に、そこに携われる事を心から光栄に感じた。

 この一件を境に、〈8otto〉にはカメラマンとして関わらせてもらったり、トラさんとは公私を分かたぬ関係になるのであるが、論旨から外れてしまうのでそれについて書くのはまた別の機会に譲る事にする。

 

 

 文化とは家系図のようなもので、新しいものを残そうとするには、その血が正しく継承されている必要がある。それは、歴史的に見てもその時々の文化が全て、突然発生したものではなく、過去のそれの延長もしくは反逆として説明出来ることからも明らかである。「良いものを見続けること」は、脈々と受け継がれてきたその文化の嫡子となるに不可欠な手続きなのであって、それを踏襲してきた慧眼にはただ先達の血を「吸っているだけ」のものは「悪いもの」としか映らないのだろう。

 

 そんな文化の継承という観点に立った上で、多少の乱暴を承知で言えば、前述の骨董屋のオヤジの主張は、

「良いものを知らない人間が、良いものを作れるはずがない。伝統を知らない我流は、単なる無知でしかない」

とも言い換えられる。

 大っぴらに嘆くような身分ではないが、現代はそんな無知の輩が、アーティストという経済的に都合の良い冠を付けられてすっかり得意になって、大手を振って跋扈している。乗った神輿を担がれているに過ぎないのに、まるで自分が宙を舞う超人間であるかのような顔をしている輩も枚挙にいとまがない。

 しかし、そんな有象無象の中で〈8otto〉はまごう事なき「良いもの」として音楽文化の系譜にその名を既に刻んでいると感じられてならない。

 憂国の士、とまで言ってしまうと思想的になりすぎてしまうので控えるが、

いわゆる「アーティスト」という存在が経済原則によってすっかり去勢され、一般人ですらかつて「臆病」とされた態度が「堅実」として賞賛されるに至ってしまった今の日本から、彼らがいなくなるとこの国はどんなに寂しくなってしまうのだろうか。

 

 「良いもの」から次の「良いもの」へ。

音楽という文化を正しい形で次代へと継承させるという、強迫観念にも似た逃れがたい宿命は、観客席からの拍手喝采への癒しがたい渇望によって支えられている。彼らがこれからも舞台に立ち続けることを切に願う。

低俗と量産の時代に、あえて鳴り響かせる誇り高い音。

 それが、僕にとっての〈8otto〉である。

 

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 トラさん、そろそろマグロ食いに行きましょうよ。