ホワイトブログ・ラングドシャ

ナガタコウのブログです。

僕にとっての<8otto>

 昔、スイスとフランスの周辺で、金はおろか目的すら持ち合わせず、半ば自棄となって日々の生活をやりすごしていた時期があった。フランス語もてんで分からない身分でありながら、知り合いに頼み込んでなんとか日雇いの解体屋の職を得たものの、勤務態度はと言えばコンプライアンスなんぞどこ吹く風、解体中の家々から金目の物をこっそりくすねては(どうせ全て残さず処分してくれと仰せられているのではあるが)、町外れの骨董屋にせこせこと売りに行き、小銭を握ってはその夜の内にバーで酒に変えてしまう有様であった。

    当時の僕は「どうにでもなれ」と「どうしたらいいんだ」の狭間でへべれけになっていた。

 

 その日の仕事帰りもいつも通り、目ぼしい陶器やら彫像やらを抱えて店に行き、それらの品定めをする店主のオヤジを横目に、

「今日はバーで常連客達の悪ノリに参加して、正体を失くすまで飲もう。」

などとちゃちな計画をしていると突然、普段は寡言沈黙としてほとんど雑談もしようとしないオヤジが、珍しく自分から口を開いて何かを話し始めた。それが独り言の類ではないことはわざわざ英語を使っていることからも明らかであったし、そもそも金以外の全てを持て余す僕がそこに耳を傾けない理由はなかった。

 

「ものの良し悪しを見抜くのに、悪いものを知る必要はない。良いものだけをひたすらずっと見続けていればいい。自ずと悪いものも分かるようになる。」

 

 それだけ言うとオヤジはぱたりと口を閉ざし、無言のままはした金を差し出した。店を後にした僕は結局どこにも寄らず、真っ直ぐ帰途についた。何か重要な啓示を受けたと勝手に思い込んでしまったのだろう。家に着くなり冷蔵庫を開け、余らせていたビールを開けながら煙草をくゆらせた。

 

 

 さらに時は遡って十代も終わりに差し掛からんとするある日のこと、僕は〈8otto〉というバンドを知った。

 十代男子の唯一の責務である「意味もなく友人宅に集まって無為な時間を過ごす」という業務をソファでダラダラとこなしていると、不意に内一人の友人が、

「このバンド、かっこよくない?」

と、ライブ動画を見せてきたのである。

 不承不承耳を澄ましてみた率直な感想は、

(いつかどっかで聴いたことある感じがする。洋楽ナイズされてんなー)

という不遜極まりないものだった。当時の僕は〈4AD〉や〈SUB POP〉に傾倒していて、「日本製」というだけで眉をひそめるほど短絡的な思考で生きていた。救い難いほど「ナイズ」されているのはまさに自分の方だというのに、どうやら今以上に脳みそにディレイがかかっていたのだと思う。

 そんな背景もあって、僕はろくに動画も見ないままに、

「ふーん、いいやん」

とだけ生返事をして、再びソファに横になった。横目にちらりと見たPCの画面ではサングラスの人がベースを対戦車ライフルの様に振り回していた。

 この時の浅知恵の代償は数年後、きっちりと支払わされることになる。

 

 

 とある宴席で、「対戦車サングラスの人」トラさんとご一緒させてもらう機会があった。彼は行き届いた気配りと、人見知り特有の人懐こさを持ってして場を大いに盛り上げており、初対面の僕に対しても、お互いの家が近いと知るやすぐさまに、

「マグロの美味い店があるから今度一緒に行こう!」

と持ちかけて、あっさりと連絡先を交換してくれる始末であった。

 

 後日、早速トラさんから着信を受けた。

「先日はありがとうございました。マグロの件ですか?今晩は空いてますよ!」

と僕が嬉々として告げると、

「フレディマーキュリーとしてMVに出てくれ」

と、返ってきた。

 とてもシラフとは思えない提案であったが、先の席でトラさんの人柄にすっかり魅了されていた僕は、詳細など何も聞かないままに快諾する事にした。

 

 その日の夜に近所の焼き鳥屋で再会を果たし、MVの段取りをする中で、当該曲である〈SRKEEN〉と〈Another One Bites The Dust〉を聴かせてもらうことになった。初めて拝聴して以来数年ぶりに聴く〈8otto〉である。

 その時僕は、

「鳥はマグロではない」

と膨らしていた自分の顔から血の気が引いていくのを感じた。

 そこには、尖り続けて一回転したからこそ得られるのであろう「高貴な大衆性」があり、前述のオヤジを借りると、それが「良いもの」であることは疑いようがなかった。僕は、音楽に対する昔の自分の浅学非才に恥じ入ると同時に、そこに携われる事を心から光栄に感じた。

 この一件を境に、〈8otto〉にはカメラマンとして関わらせてもらったり、トラさんとは公私を分かたぬ関係になるのであるが、論旨から外れてしまうのでそれについて書くのはまた別の機会に譲る事にする。

 

 

 文化とは家系図のようなもので、新しいものを残そうとするには、その血が正しく継承されている必要がある。それは、歴史的に見てもその時々の文化が全て、突然発生したものではなく、過去のそれの延長もしくは反逆として説明出来ることからも明らかである。「良いものを見続けること」は、脈々と受け継がれてきたその文化の嫡子となるに不可欠な手続きなのであって、それを踏襲してきた慧眼にはただ先達の血を「吸っているだけ」のものは「悪いもの」としか映らないのだろう。

 

 そんな文化の継承という観点に立った上で、多少の乱暴を承知で言えば、前述の骨董屋のオヤジの主張は、

「良いものを知らない人間が、良いものを作れるはずがない。伝統を知らない我流は、単なる無知でしかない」

とも言い換えられる。

 大っぴらに嘆くような身分ではないが、現代はそんな無知の輩が、アーティストという経済的に都合の良い冠を付けられてすっかり得意になって、大手を振って跋扈している。乗った神輿を担がれているに過ぎないのに、まるで自分が宙を舞う超人間であるかのような顔をしている輩も枚挙にいとまがない。

 しかし、そんな有象無象の中で〈8otto〉はまごう事なき「良いもの」として音楽文化の系譜にその名を既に刻んでいると感じられてならない。

 憂国の士、とまで言ってしまうと思想的になりすぎてしまうので控えるが、

いわゆる「アーティスト」という存在が経済原則によってすっかり去勢され、一般人ですらかつて「臆病」とされた態度が「堅実」として賞賛されるに至ってしまった今の日本から、彼らがいなくなるとこの国はどんなに寂しくなってしまうのだろうか。

 

 「良いもの」から次の「良いもの」へ。

音楽という文化を正しい形で次代へと継承させるという、強迫観念にも似た逃れがたい宿命は、観客席からの拍手喝采への癒しがたい渇望によって支えられている。彼らがこれからも舞台に立ち続けることを切に願う。

低俗と量産の時代に、あえて鳴り響かせる誇り高い音。

 それが、僕にとっての〈8otto〉である。

 

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 トラさん、そろそろマグロ食いに行きましょうよ。

2018-2019 ラオス旅行記 vol.3

vol3.の道のり】 

 

12/31 ルアンパバーン

 

【以下本文】

 ご無沙汰してます。このラオス旅行記、更新頻度が遅すぎて、

「そんな昔の旅行本当に覚えてんの?」

「最終回には完全なホラになるんじゃないの?」

「ちゃんと毎日ご飯食べてるの?」

などと、各方面や母親から心配の便りをいただいております。ナガタです。

 「覚えてる事を書いてる」というよりは「忘れてる事は一切書いてない」に近いので、書かれていることは本当だと思って読んでもらって問題ありません。しかし酒に酔った勢いに任せて書いているのは確かなので、そこはまぁ一種の精神修行の類だと思って、あなたも負けじとアルコールをしこたま浴びながら読めば、お互いにチャラン&ポラン、多少のウソもマコトになると思われます。

 

 精神修行といいますと、皆様は映画なり写真なりで何なりで、

「オレンジの袈裟をかけた坊主の群がうやうやしく列をなして握り飯を集めて回る光景」を見たことがあるでしょうか?

…と、わざわざもったいつけて言うほどのことではないのですが、それは「托鉢(たくはつ)」という仏教における修行の一つで、坊主がタダで腹を満たしつつ同時に信者も功徳が積める、という大変優れたシステムなのです。

 しかしマァおよそ信仰心のない私のような人間にとっては「おにぎりのチャリティ」以上でも以下でもありません。

 

 敬虔な仏教徒が多いことで知られるラオスですが、中でもルアンパバーンと言いますと、ラオス最古の寺があったり、街がそっくりそのまま世界遺産登録されていたりと、うっかり十字でも切った日にはその場で散弾を浴びるほど大真面目な仏ゾーンなので、そこで前述の托鉢を見物しないというのはフィリピーナを捕まえて「シャッチョサーン!」と呼ばせないくらいモッタイナーイ!アリエナーイ!と出発前からさんざん聞かされていましたので、不承不承、朝の5時に目覚ましをセットして布団に潜りこんだのが前回までのお話でした。

 

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 前置きが長くなりましたが、ルアンパバーンの2日目が始まりました。

    時計を見やると短針の示す先は既に12付近にあり、カーテンからはいわゆる午後THE日差しがダダ漏れしていました。神も仏も眠気の前ではボロ切れ同然ということで、私たちは寝転んだまま画像検索をして、件の托鉢見学を抜かりなく済ませました。

 そんな具合に、「生の体験」なんてものはGoogle先生が一つ残らず鼻で笑い飛ばしてくれるご時世ですが、腹の減りだけはこれ如何ともしがたく、特に人気店の検索などしないまま宿を飛び出して最初に目についた屋台に駆け込みました。

 

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   早々にランチタイムを終えた店々が我先にとズラかり始めているのに未だ営々と在庫処理に励んでいる時点で、その店の味には特に期待をしていませんでした。

 客と店員とが渾然一体と溶け合って区別のつかない中で我らの注文が確実に聞き届けられるべく、

「カオソイ、ソーン!」(ソーンは2のことらしい)

と、座りながら適当なボリュームで叫びました。

 

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 そうしてテーブルに運ばれて来たカオソイの写真がこちらです。

 この丼、「できたて」を確信させてくれる湯気という湯気を少しも纏っておらず、生ぬるいこと間違いなし!な感じだったのですが、そんな心配が些細に感じられるほど、「凄まじい納豆的臭気」を放っており、ただでさえ低空飛行だった期待は、今や地を這い、土に還るかというところでした。

 

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 肝心の味はというと、良く言えば「本場の味」、ハッキリ言えば「まずい」。唐辛子以外ならアクリル絵具も食えるほどに舌の懐が深い友人も、これにはさすがに頭の中が痒いような顔をしておりました。

 こいつをどうにか美味く食う術はないものか…卓上調味料に目をやると、ザリガニのイラストが描かれた赤い小瓶が置かれています。恐る恐る手に取ってフタを開けてみると、何やら湿っぽいような灰色の粉がべっとりと詰まっていました。

 マァ、「美味しくないもの」に「得体の知れない不気味なもの」を足して美味しくなる道理がないので、フタをそっと閉じ、永久に箸を置きました。

 

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 アメリカンニューシネマの勃興以降、

(何だかよく分からないけど遠くに行きたい気持ち)=(バイク)

というのが男の一次方程式となったわけですが、暇を持て余した私たちもそのご多分に漏れず、オートバイを借りることにしました。

 そうして脳内にステッペンウルフを垂れ流しながらバイク屋へと向かう途中、上下ともにまっ黒い服を着たどこか胡乱な感じのするおっさんと目が合いまして、ふとその手元を見ると二十枚はありそうな薄っぺらい貝殻の束をトランプのように数えておりました。

 その時は、どこかで頭でも打ったのだろうな、と大して気にも止めなかったのですが、今にして思えばあのおっさんはラオスに流れ着いたジプシーの末裔で、私たちを一瞥するや、吊るされた男的な不吉極まる貝殻を引いていたのかも知れない…まさか帰国後にそんな厨二染みた妄想に浸らされるとは、もちろんその時は知る由もありませんでした。

 

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 「起承転結」という言葉があるように、事故や事件というのはいわゆる「引きつけて打つ」ように描くことでそこにドラマが生まれるわけですが、この文章は日本中どこにでもいるおじさん寸前(もうアウトかもしれない)の男二人が、外国に行ってきたよーというただの日記なので、ドラマもヘチマもなく、走り出して20分もしない内に盛大に事故をしました。

   乗り慣れていないという事もあって始めはせいぜい時速30キロ前後で、道路というよりは単なる「泥」と呼ぶべき、あまりにも世紀末な道をおっかなびっくり走っていたのですが、現地民達の操る後続車はスーパーチャージャーが付いてるとしか思えない圧倒的加速をもってして、もちろんヘルメットなんか付けずに、時には左手を離してスマホで自撮りをするという曲芸まで披露しながら悠々と私たちを追い抜いてゆきます。

 そうして、あれよあれよと八台ほどに抜き去られた頃、

「もう少しスピードを出さないと逆に迷惑なんじゃないか…?」

「いや、でも怖いしなぁ…」

という葛藤が湧き上がるが早いか、そちらが早いか、たった今私たちを抜き去ったタンデムの後ろ側の女が訝しげにこちらを振り返り、

「ちんたら走ってると思ったらアレハ日本人ネ」

「早いのはベッドだけネェ。ナーンチャッテ」

とでも言いたげにほくそ笑んできました。

 

 「…もっぺんいってみろクソアマ!!」

こちら側の完全な思い込みによって、ありもしない嘲笑にプライドを傷つけられた二人の血は煮え立ち、激増した男性ホルモンが睾丸を溢れて右手まで瞬時に流れ込み、気がつけば思い切りアクセルを捻っておりました。

 

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 時速47キロ…50キロ…勢いよく泥を跳ねながら、速度を示す数字は順調に上がってゆく、57キロ…60キロまできた、61、なーんだこんなもんか、と、ちんたら走っていた時に抱いていた恐怖があまりにバカらしく思える、63…頭がフワフワする、跳ねる泥が減った、気のせいかコーナリングが上手くなっている、逆恨みは身体能力を向上させる、64、かつて緊張だったもの全てが恍惚に変わる、もうこれ以上のスピードは似たり寄ったりなのかもしれない65、もはや身体のスピードが頭の回転のそれを上回ってしまったらしく、呑気に「バニシングポイント」って映画があったなぁなんて考えている、66いやむしろ普段よりも冷静な思考が67出来るようになっている68のか?それにしても一向に追いつく気配がな69いがヤツラは一体何キ70ロで71走っ72て、7

 

 …時速74キロ。

覚えている限り、それが私たちの「消失点(バニシングポイント)」でした。

 

    友人は、突如として現れた直角近い急カーブにあえなくクラッシュ。その勢いはまるで原付そっくりの大砲が、友人そっくりの弾を発射したかの如くでした。

 「よく知る人間が思い切り宙を吹っ飛ぶ」のは滅多にお目にかかれないもんだぞ、と脳が太鼓判を押したのか、その光景はロバートキャパの写真よろしく今でもはっきりと瞼の裏に焼き付いております。

 

 その時、少し後方を追うように走っていた僕は、これはまぁ死んだなという距離の宙を舞う友人を目の前に、時間の感覚がのっぺりと引き伸ばされて、

「俺が家族に伝えに行くのか、やだなぁ」

「さっきのザリガニの粉、どんな味だったんだろう」

と、大切なシーンとどうでもいいシーンがオーバーラップした一本のショートフィルムを、ぼーっと観ていました。

 

 我に返り、ひとまず手向けも兼ねて停車しようか、と速度を緩めた瞬間、私のバイクの前輪は幼児であればそのまま埋葬出来る大きさの穴ぼこに、すっぽりとハマってしまいました。エネルギーを持て余した後輪は、私の身体を跳ね上げ、上空を一度宙返りさせた後、うつ伏せに地面に叩きつけました

 

 思えば、托鉢を画像検索で済ますとは、なんと罰当たりなことをしてしまったのでしょう。今朝の不敬に怒り狂うラオスは、まだまだその手を緩めず私たちにトドメを刺そうとしてきます。

「…ん?何が起こったんだ?」

と、状況を飲み込めない私が顔を上げたその場所の、ほぼ10センチすれすれ、両眼の瞳孔がその風をはっきりと感じられる距離を、軍用の大型ジープが猛スピードで走り去ってゆきました。荷台に乗る現地民たちは、地面に横たわる私を、まるで幽霊を見るような目で眺めていました。

 もう三十路も近い年齢になって、人並みに色々な経験をしてきたという自負はあったのですが、自分の脳みそがグシャポンと爆ぜて泥と混じる様を生々しく想像させられるのはこれが初めてのことでした。世の中にはまだまだ知らないことが多くあるものです。

 

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  すぐさま、友人が私の身を案じて駆け寄ってきてくれました。彼は見てくれこそ派手に転けたものの、肝心の着地点がどろっどろにソフトな泥道であったので軽傷で済んでいたのでした。

 打って変わって、運悪くコンクリート側に打ち付けられた私の肘と膝は随所いわゆるズルムケ、あまつさえ右ふくらはぎに至っては落下地点に大きめの小石でもあったか、小指の第一関節大ほどの穴が空いており、流れ出る新鮮な血がズボンの右側に赤く地図を描いていました。

「ナガタ、大丈夫か…?マジで」

心優しい友人のマジなセリフ。彼だって無傷というわけではないのです。

(これは…引き返すべきだろうか…)

迫られる選択と、滴る血。泥だらけの友人に、不吉なおっさんの貝殻。楽しい旅行に突如として鳴り響く蛍の光。…果たして二人は旅を続けることができるのか!?

 次回!なんだかんだで普通に立ち直った二人が、特に山場もなく歩いたり飯食ったりする!ついに話が一日も進まなかったが今度こそ迎えるか2019年!?こっちはもう8月だ!!乞うご期待ください。

2018-2019 ラオス旅行記 vol.2

vol2.の道のり】 

 

 12/30 ビエンチャン→ルアンパバン

 

…だけ⁉︎

だけっす。すんません。

 

【以下本文】

 

 国内線でビエンチャンから目的のルアンパバンに到着した頃には、辺りはもうすっかり夜になってしまっておりました。

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 「ホテルまでどうやって移動しようか」という面倒な問題は頭の片隅にギュッとねじ込んで、ひとまずエコノミーシートで損ねた膝の機嫌をとるための屈伸運動に全精力を注いでいたところ、先ほどから同じ旅行者風の若い白人アベックがチラチラとこちらを見ていることに気が付きました。母国ニッポンでは、見知らぬ人様がチラチラとこちらを見ていた場合、「オォ?」や「アァン?」「ナメトンカワレ」といった呪詛を唱えながら相手に近づき、胸ぐらを摑んで顔に勢いよく唾を吐きかけるのが男性社会のマナーであるわけですが、ここは異国の地、自分たちの文化をお披露目したい気持ちをグッと堪えて「ハロー!」と笑顔で挨拶をしました。

 

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 チラ見容疑の白人アベックと少し話をしてみると「タクシー代を安くあげるために、互いのホテル近くの大通りまで相乗りしよう」といういかにも三文旅行記にありがちなベタベタ展開となりまして、適当に捕まえて適当に値段交渉した適当なおっさんのトクトクに4人で乗り込みました。

 走行中、ルアンパバンの生温かい夜風に揺られながらこのままホテル近くに到着して後は寝るだけ!という安心感で、眼球ロンパリヨダレ垂れ流し職質待ったなしのアホ面かましてボケーッと景色を見ている俺に、チャーリー・セクストン似のナイスガイな彼氏は持ち前のサービス精神を過剰に発揮して到着までの20分余りの間、身振り手振りも交えながら継ぎ目なく楽しげに話をしてくれました。しかし、こちとら体力と学力が完全に不足しているので「俺たちはジュネーブから来た」以外何を言ってるのか全然分からないまま笑顔で別れました。

 

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 適当に値切りすぎたせいか、トクトクのおっさんは予定していた場所よりも離れた地点で半ば職務放棄的に俺たちを降ろし、渋々夜の大通りを地図片手にえっちらおっちら15分ほど歩いたところで、ようやく日本から予約しておいたホテルを発見しました。早速チェックインするべく受付に向かうと、一目でこれは面倒臭いと判断出来る類の書類手続きを求められたので、それらを余すところなく友人に押し付けてソファの割れ目に顔を埋めたり、一足先にウェルカムドリンクを注文したり、生ぬるいレモンスカッシュにむせ返ったりしているうちに全ての手続きが済んでおりました。もちろん日本からホテルを探して予約してくれたのも友人です。いつも大変お世話になっております。https://www.youtube.com/watch?v=10VMVBAKBcM

 

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 そうこうして部屋に案内され、悲願であった重い重いバックパックからの解放をついに果たすことが出来ました。俺はこの時すでに弱音だけで写経が出来るぐらいに疲弊しきっていたので、我先にとズボンを脱ぎ脇目も振らずに布団&枕ズとよろしく乳繰り合い始めていたのですが、友人の方を見るとなにやらジョニー大倉のロックンロール抜きといった風貌の精勤そうなラオス人青年から地元のナイトマーケットの場所を聞き出しており、「こいつマジか」を惜しみなく顔に漏らす俺を見て、事もなげに「今から一緒に行こうや」と言い出しました。

    もしもこの時の俺の「行きたくなさ」が握力に変換されたならば250kg強を悠々と叩き出し、エリックファミリーを軒並みリング上でぶち殺してプロレス界の破壊神として今もなお語り継がれ続けているほどでしたが、現実世界ではもはや舌打ちをする気力すら残っていなかったので唯々諾々と従い、絶対にそんなイヤイヤ行く催しではないと思うのですが、ヤブだと分かっている歯医者に向かう心持ちでルアンパバンのナイトマーケットへと向かいました。

 

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 過去のタイ&ベトナム旅行時の経験から淡く期待はしていたのですが、ラオスのTシャツの、脳みそを出来るだけ使わずに作りました!感満載でどこをどう間違っても高級品には見られないチープイズクールを地でいく最高のデザインの数々に魅せられ、うっかりユルユルのガバガバになろうとする財布の純潔を守るのに一苦労でした。もし俺がおじいちゃんおばあちゃん(ワンセット)ならその場で速攻で生命保険を解約して店ごと買い占めていたところですが、俺はおじいちゃんおばあちゃん(ワンセット)ではないので普通に2枚だけ買って店を後にしました。

 その後数ブロック歩いたところで、大量の怪しげなビンに囲まれた控えめに言って穢多非人スタイルの老婆に呼び止められ、コブラやサソリの死骸がもりもり浮いているアントン・ラヴェイのおやつですか?的なウォッカを2人とも勧められるがままに5杯6杯と飲み干しました。そして老婆が7杯目を差し出してきたあたりで、生来酒に弱い宿命を背負う友人の顔色は土気色を通り越して、腐り落ちて爆ぜた隣家の柿のようになり、小刻みに震える唇で「行こ、死ぬ」と絞り出すように呟き始めましたので逃げるようにその場を去りました。

 

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 すでに酩酊というよりは軽いてんかんに近い震え方をしている友人の背中をさすり歩き、到着したマーケットの最奥には大きなライブステージが特設されており、そのステージ上では可愛らしい現地の女性がポンチャック風のペラッペラな二拍子爆音オケにのせて異様に抑揚のない歌声を披露しておりました。

    そのラオス李博士とも言える音の津波に、先ほどのサタニズムウォッカ7連発で軽く融解した脳みそは完全にメルトダウンさせられ、下手なクラブの泡パーティよりもタリラリで踊ってしまった気がします。「気がします」という変な言い方をしたのは、不思議とこの時の記憶だけがすっぽりプチ・ブラックアウトしており全然思い出すことが出来ないからです。そんなトルエンみたいな青臭アシッド体験でこの日のナイトマーケットは幕引きとしました。ちなみに泡パーティには一度も行ったこともないし誘われたことすらありません、見栄を張りました。

 

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 不気味なアルコールと不快な轟音による動物実験的苦痛に苛まれる中「なんでもいいから胃に放り込みたい」という方向で二人の欲求は合致し、帰り道を辿る道中目についたレストランにすかさず飛び込みました。一般的な旅ブログにとって肝心要と言える食事内容については一切覚えていないので写真を見て判断する限り、カオニャオ(a.k.a 無味おはぎ)とラープ(a.k.a.酸っぱ挽肉)、カオソーイ(a.k.a 薄カレーラーメン)などを食べたのだと思います。以降、同じ料理について書くときはアダ名で呼びます。

 前回も書きましたがラオス料理の味付けはかなり口に合うので、美味い美味いとたらふく食ったおかげで少し元気と体力を取り戻し「来てよかったなぁ〜」「明日はなにしよっか!」などと二人で笑い合いながらホテルに帰ってぐっすり眠りました。次回vol.3では二人共バイク事故で死にかけます、他人の不幸の詳細を乞うご期待!

2018-2019 ラオス旅行記 vol.1

年末年始の休みを全て潰して、友人と2人でラオスに行ってきました。

思い出しながら細々と書いていきます。

 

【vol1.の道のり】

12/29 関空→釜山

12/30 釜山→ビエンチャン→ルアンパバン

 

【以下本文】

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2018年12月29日

何とか各々の仕事を納めて、まだ見ぬラオスへいざ向かわんと関西空港に集合してみたはいいものの、2人して行く気が全く起きませんでした。

とりあえずチェックインまで少し時間があったので、特に入りたくもない店の別に食べたくもないカツカレーをクチャクチャ食べながら、

「…そろそろチェックイン、せなあかんなぁ」

「…せやなぁ」

という会話だけを虚しく響かせて、どちらもお地蔵さんのように動かない。そんな徳の多いやり取りが何度も続きました。

この時僕は心底、今すぐに帰って家でゆっくり過ごしたいと強く願っていたのですが、不思議と友人も全く同じ気持ちであることがハッキリと伝わってきました。

以心伝心、水魚之交、幸先のいい旅のスタートでした。

 

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重い腰を上げてカウンターに向かうと、年末の出国ラッシュというものでピーチのカウンターは人間の群れで溢れていました。

JALANAを使えばいいものを、貧乏人が多い世の中というのも困ったものです。

その中でも貧乏の筋金入りである僕ら2人は、手荷物の重量オーバーによる追加の金の支払いを恐れ、計量器をコソコソと避けるようにチェックインし、無事に日本を発ちました。

 

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乗り換えのために韓国は釜山の金浦空港に降りました。

この日の釜山はまさに凍てつく寒さで、口も開けれずポケットから両手も出せないほどでしたので、僕は無口なヤンキーの霊を憑依させたつもりで無心で歩き、沙上駅→西面→ポムネコルと電車を乗り継いで目的のゲストハウスに到着したところ、いつかの保健室のような部屋を与えられました。

オーナーのおじさんは痩せ型でキツネに似たよく喋る小男で、手練れのスリのような見た目だったのですが、腰が低くてとても親切な韓国紳士の方で、当然荷物もスろうとはしませんでした。

 

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これはゲストハウスの共用スペースです。

ペコペコなので食料を漁りますが、湿気でシラケきったポッキーのようなお菓子しかありませんでしたので、腹を決めて外出することにしました。

 

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なにも考えず、壊れたファービーようにサムイサムイと同じ音を繰り返しながら辺りをほっつき歩いていたのですが、さすがに2人とも寒さの限界がきて、現地の人たちでわいわいと賑わっている焼肉店に入りました。

若い店員さん達は英語は全くダメといった具合でしたので、メニューを手に持って特に何の意図もない適当なジェスチャーをしていたところ、向こうも負けじと適当に全種類の肉を持ってきてくれました。

肉は冷凍でしたが味はとても良くて、手製のナムルや正体不明の葉野菜とのマリアージュはそれはもう絶妙なものでした。

たらふくに食って酒もそれなりに飲んで、確か2人で2500円くらいだったと思います。

これほど豚の命が軽い国があったのかと、2人して大満足で店を後にしました。

 

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翌朝は6時に起きてタクシーで金浦空港へ向かい、9時発のビエンチャン行きの飛行機に乗り込みました。

後光が差しているかのように撮影していますが、韓国のビールはどいつもこいつも美味しくありません。

 

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機内で朝からビールを注文し、まるでこの世の春かのように撮影していますが、もちろんこいつも美味しくありません。

 

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ビエンチャンのワットタイ空港に到着。

国内線の乗り換えまで3時間ほどあったので、バスタクやトクトクで外に出て昼食を食べようと計画していたのですが、一ヶ所しかない空港の両替所には外国人たちの長蛇の列が出来ており、並ぶのを渋りました。並ぶほかに道はないと悟るのに20分ほどかかりました。

 

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タクシーで一旦空港を離れて市街地へ。

ベトナム旅行の時以来の再会となるメコン川を懐かしみながら、川沿いを少し散歩しました。

写真奥の小さな遊園地のような施設からは、なぜかバスドラムの音だけがひたすら聴こえていました。

 

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時間もないので、目に付いた屋台風の店に適当に入ったのですがここが大当たりでした。

汁なしのインスタントラーメン風焼きそばやエビのフリットのようなものを食べたと思うのですが、あまりに美味しくて写真を撮り忘れるどころか記憶も定かではない始末です。

ウエイトレスをこなす気立ての良さそうな娘さんが、料理を運ぶ合間にスピーカーの方へと足を運んで彼女お気に入りの曲を流してくれていたのですが、それらが今まさに目の前に広がるラオスの風景や気候とぴったりと合った素晴らしいもので、舌でも耳でも東南アジアの旅情にどっぷり浸らせてくれたのでした。
<このバンドでした→https://www.youtube.com/watch?v=DFmB2W0GoW8

 

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ラオスを代表するビール「ビアラオ」

これがまた美味しくて、韓国ビールで荒んだ僕らのハートとレバーを優しく癒してくれました。レバーは違うかもしれません。

これがナント大びんでおよそ100円。

アルコール好きの俺は晴れてこいつを今回の旅行中のメインの水分にすることを誓いました。ポスト水です。以降、ビアラオが出てこなくても常に飲んでいると思って読んでいただいて全く差し支えありません。

 

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ビエンチャンの心地よさも余所目に、ルアンパバンへ向かうためトクトクで空港に引き返して国内線にチェックインしました。

国内線のロビーはとても簡素で、売店はまるで在庫処分セールのような有様でした。

写真右側のレジ店員が、食い入るようにスマホで動画を見ているのでどんなものかと後ろから覗いてみると、「どっちの料理ショー」に似た番組でした。

僕が缶のビアラオをレジに置いても、彼女はこちらに目もくれずラオス関口宏の鮮やかな司会ぶりに釘付けでありました。

 

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簡素の波は喫煙所にも及んでいました。

「これ(Jamiroquai - Virtual Insanity (Official Video) - YouTube)みたいや!!」

と2人で写真を撮ってはしゃいでいたのですが、今見直してみると全然違いました。

 

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そんなこんなで、無事ルアンパバン行きの飛行機へと乗り込んだのでありました。


【vol2.に続きます】